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論考「トランスジェンダーと青少年問題」季刊『青少年問題』668号 [論文・講演アーカイブ]

季刊『青少年問題』(一般財団法人 青少年問題研究会)668号(2017年10月1日発行)の特集「LGBTとは」に、執筆した論考「トランスジェンダーと青少年問題」。

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  トランスジェンダーと青少年問題
              三橋 順子

1 トランスジェンダーとは
「LGBT」のTは、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字である。けっして性同一性障害(Gender Identity Disorder)の頭文字ではない。もしTが性同一性障害だったら「LGBT」ではなく「LGBG」になってしまう。

では、トランスジェンダーとはなんだろう。現象・行為として定義するならば、生得的な身体の性に則して社会(文化)によって規定される社会的性を強制されることを拒否し、生得的な身体の性とは逆の(別の)社会的性を学習し、それを総体的に身にまとうこと、つまり、つまり、社会的性差(Gender)を越境しようとすることである。人物として定義するならば、そうした社会的性差の越境をしばしば、もしくは定常的に行う人たちということになる。

トランスジェンダーには男性として生まれながら女性ジェンダーを身にまとうMtF(Male to Female)と、女性として生まれながら男性ジェンダーを身にまとうFtM(Female to Male)の二つの方向性がある。最近ではMtFを Trans-woman、FtMFをTrans-manと呼ぶことも増えてきた。

トランスジェンダーは、身体とジェンダーとの不一致を病理(精神疾患)とする考え方に対抗して生まれた非病理概念である。したがって、トランスジェンダーを「心と体の性が異なる人」と説明するのは、性同一性障害の定義に影響された誤りである。敢えて言えば、一致していないのは「心と体」ではなく「ジェンダーと体」である。

トランスジェンダーでは、性別を越境する理由は問わない。ジェンダーと身体の不一致に起因する性別違和感(Gender Dysphoria)が理由であることが多いが、職業的・経済的な事情であっても、定常的なジェンダーの越境が行われていればトランスジェンダーである。

身体とジェンダーを医療によって一致させることを「治療」と考える性同一性障害概念に対して、トランスジェンダー概念ではジェンダーと身体は必ずしも一致させる必要はなく、一致させるか、それとも不一致なままでいるかは自己決定に委ねられるべき問題である。

ちなみに、性別を越境するトランスジェンダーに対して、性別を越境しない人たちをシスジェンダー(Cisgender)という。

2 トランスジェンダーの現在
日本では、1998年の埼玉医科大による性別適合手術の実施をきっかけに、1990年代末から2000年代初頭にかけて性別の移行を望むことを「病」(精神疾患)ととらえる性同一性障害(GID)概念がマス・メディアを通じて広く流布され、性別移行の病理化が一気に進行した。その流れは、2003年7月の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の制定(2004年7月実施)に結実し、一定の要件を満たす性同一性障害者は戸籍の性別(続柄)の変更が認められるようになった。

その結果、性同一性障害の診断を得て、国内外で性別適合手術を受け、戸籍の性別を変更する人が急増した。性別違和感に悩み苦しむ人が、手術と戸籍の変更によって望みの性別での生活を実現することは、基本的には良いことである。しかし、その一方で過剰でアンバランスな医療化の弊害も出てきている。たとえば、望みの性別の身体と戸籍を得たにもかかわらず、望みの性別での社会的適応がうまくいかない人が目立つようになり、さらには性別の変更を後悔し性別を元に戻す再変更を望む人すら出てきている。

とはいえ、20世紀末から21世紀00年代の10数年間は、性同一性障害をアイデンティティにする「性同一性障害者」が数多く出現し、「性同一性障害者」のグループが社会的に強い発言力を持った、まさに「性同一性障害の時代」だった。ただし、こうした病理化の突出、性同一性障害をアイデンティティにする人々の急増は、同時期の世界と比べるとかなり特異な現象だった。

2015年頃から日本でも遅ればせながら、性的マイノリティの主な4つのカテゴリーの英語の頭文字を組み合わせてその連帯を示す「LGBT」(LはLesbian:女性同性愛者、GはGay:男性同性愛者、BはBisexual:両性愛者、TはTransgender:性別越境者))概念が広まる。それによって、LGBTの一角であるトランスジェンダーへの社会的認知が広がっていった。

また、世界に目を転ずると、2010年代に入る頃から性別移行の脱精神疾患化の流れがはっきりしてくる。2018年に予定されているWHO(世界保健機関)の疾患リスト(ICD)の改訂では「性同一性障害」という病名は国際的には消え、新設される「conditions related to sexual health(性の健康に関連する状態)」の章に「gender incongruence(性別不一致)」という病名が置かれるなど、性別越境に関係する疾患が精神疾患カテゴリーから外れる案が有力になっている。

これが実現すれば、同性愛に遅れること28年にして性別越境の脱精神疾患化が達成され、性別越境者は長い年月、精神疾患の名のもとに抑圧されてきた状態から、ようやく解放されることになる。
こうした流れの中で、かつて全盛を極めた性同一性障害者グループの活動は、この数年、急速に低下し、社会的発言力ははっきり衰退している。今後、性同一性障害という病名は完全に過去のもの(死語)となり、性別を越えて生きることを「病」ではなく、自らの性別の在り様の選択であるとするトランスジェンダーの主張が主流になっていくだろう。

3 若年FtMの急増問題
戸籍の性別変更者の人数は、2004年から2016年までの13年間で6809人に達している。これは最高裁判所が全国の家庭裁判所で変更手続きをした人数を集計したもので、きわめて信頼度が高い。日本の全人口の0.005%、18500人に1人が戸籍の性別を変更していることになる。

東京都千代田区にある「はりまメンタルクリニック」の針間克己院長は、2005~2016年の間に1273通の戸籍変更診断書を書いている。これは、同期間に戸籍の性別変更を行った6809人の約5分の1(18.6%)に相当する。

戸籍変更診断書を求める人のほとんどは、家庭裁判所に戸籍の性別変更を申し立てると推定され、そのほとんどが受理される。したがって、針間院長が執筆した戸籍変更診断書は、日本の戸籍性別変更全体のほぼ5分の1のサンプルと考えて大過ない。

最高裁判所のデータにはFtM、MtFの区分がなく、性別移行の内訳は不明だが、「はりまメンタルクリニック」の戸籍変更診断書のデータはFtM、MtFの別が示されている。そこで年ごとのFtM、MtFの比率を各年の戸籍性別変更数に当てはめて、年ごとのFtM、MtFの人数を推測し、それを合計してみた。

その結果、女性から男性への変更者(FtM)が5010人、男性から女性への変更者(MtF)が1796人となり、その比率は2.76:1と推測される。2006年まではMtF2: FtM1だったのが、2007年に一気に逆転してMtF1:FtM2になり、2010年以降はMtF1: FtM3~4で推移している。

2007年頃にいったい何が起こったのか? 理由として、FtMを対象とした「性器形状近似要件」の実質的な緩和が考えられる。つまり、ペニス形成手術をしなくても、男性ホルモンで肥大したクリトリスをマイクロペニスに見立てることで、子宮・卵巣の摘出のみで戸籍の性別変更を認める判断が、FtMの戸籍変更数の急増をもたらしたと思われる。

これに対して、戸籍の性別変更をしたMtFの実人数は長期的に見るとほとんど同じレベルで推移していて、大きな増減はない。

次に、戸籍性別変更者の年齢層に注目してみよう。「はりまメンタルクリニック」の2011~2016年の戸籍変更診断書のデータから、若年層(20歳代)の比率を推計すると、全体の61.8%が20歳代であることがわかった。MtFとFtMとでは様相がかなり異なり、MtFでは20歳代の比率は43.6%に止まるのに対し、FtMでは66.9%、つまり3分の2に達する。同期間のMtF:FtM比は全年齢層では1: 3.6であるが、20歳代限定では1:5.5となる。

2011~2016年の6年間の全戸籍変更者は4668人だが、20代のFtMは2496人と推計され、全体の53.5%が20代のFtMということになる。全戸籍変更者の50%以上が若いFtMというのは、かなり衝撃的な数値である。

つまり、性別変更者の現状は、全体の半分以上が若いFtMで占められ、若年層に限定するとFtMはMtFの5~6倍もいる。大雑把な計算だが、20代女性の約2500人に1人(0.04%)が戸籍の性別を男性に変更していることになる。

こうした現状は、性別変更に伴うさまざまな問題のかなりの部分が、若いFtMに関わる問題であることを予測させる。もちろん、MtFにもいろいろな問題はあるが、両者に共通する就労問題を別にすれば、単身高齢化問題など、むしろ中高年層に関わるものが多い。

極言すれば、トランスジェンダーの青少年問題とは、FtMの問題ということになる。

4 FtMのダークビジネス問題
近年、性同一性障害の当事者によるダークビジネス(違法とまでは言えないが質的・倫理的に問題性のあるビジネス)が表面化している。いくつか事例をあげてみよう。

2014年のGID学会第16回研究大会(那覇市)における医療ツーリズムのシンポジウムで、主にタイでの性別適合手術のアテンド(紹介・斡旋)を行う業者の問題が指摘された。

航空券の手配やホテルの予約などの代行業務をする場合、日本では旅行代理業務の資格が必要であり、また現地で病院の斡旋をする際にはタイの官庁に届け出なければならない。ところが、無資格な業者が横行し、アテンドと称しながらタイ語も英語もしゃべれず、現地の病院の日本語ができるスタッフに取り次ぐだけ、あるいは、自分が手術した病院しか紹介しない(できない)など、アテンドの質が伴わない会社があるとの指摘だった。こうした問題があるアテンド会社を経営しているのは、なぜかほとんどFtMなのだ。

2016年5月の「東京レインボープライド」のあるブースが「無料相談」をうたいながら肝心な情報は有料で、しかも法外な値段をとっているという噂が流れてきた。たとえば、「GID学会理事クラスの医師の電話番号、1万円」とか。病院の電話番号は公開情報であり、インターネットで検索すればすぐにわかり、有料の価値はないはずだ。ほかにも、男性化を指南するテキストDVDが3枚セット6万円で販売されているという情報もあった。そして、そうしたビジネスの主体はFtMであると。

どうして、そんなビジネスが成り立つのか不思議でならず、事情通のFtMの知人に尋ねてみたところ、「世の中にはネットで病院の情報を検索できないレベルのFtM予備軍がけっこういるんですよ。三橋さんたちにとっては当たり前の情報を有料でも求めるのは、そういう情報弱者の中学生なのです」と教えられた。「でも、中学生はそんなにお金をもっていないでしょう」と尋ねると、「今は、親が金を出すのですよ。GIDが先天性のものという説が広まると、子どもは『自分がこうなのは親のせいだ』と親を責める。それを真に受けた親が金を出してしまうのです」という返事だった。

確証はないが、少なくともかなりダークな状況があるのは確かなようだ。そこには、現在、問題化している性同一性障害ビジネスの構造がよく見える。それは起業した若いFtMが、より若い情報弱者のFtMをビジネス・ターゲットにし、親に金を出させるという構造だ。先輩のFtMが同じ悩みをもつ後輩のFtM予備軍を「食い物」(金儲けの対象)し、親の心理的な弱みに付け込むやり方は倫理的にかなり問題があるビジネスだと思う。

こうした当事者が当時者を「食い物」にするビジネスは、MtFではほとんど聞いたことがない。MtFの場合、水商売にしろセックス・ワークにしろ、あるいは色仕掛けで手術費用を出させる愛人ビジネスにしろ、ビジネス・ターゲットは常に非当事者の男性だ。MtF当事者がお金を持っていないことはお互いわかっているので、ターゲットにしても仕方がないのだ。

5月6日の『朝日新聞』朝刊(東京版)に「LGBTをめぐる金銭被害を議論」という見出しで「あなたも人権講師になれる」とうたい、LGBTの当事者を高額なセミナーや相談に勧誘するビジネスの存在が報じられた。さらに、7月31日になって地元の『徳島新聞』などが詳細に報じ、それが「共同通信」で配信され、完全に表沙汰になった。

具体的には、2016年10月、徳島県を中心に人権教育関係の講演活動をしている30代のFtM(徳島県教育委員の人権教育指導員)が、東海地方在住の20代のFtMに、セミナーを受講して起業すれば、自治体の人権講師として簡単に稼げるともちかけ、高額(100万円)のセミナー契約を結ばせ、なかなか解約に応じなかったというトラブルである。ここでも先輩FtMが後輩FtMを「食い物」にする構造が見える。これまでの事例と比べて契約金が100万円、違約金の設定が500万円と金額が大きく悪質性が高い。また、自治体の「人権講座」をネタにしている点でも倫理性が問われる。

問題は、こうしたダークなアテンド、通販、セミナーなどを業務として行っているのが、ほとんどFtM系の企業・団体だということだ。なぜ、そうなってしまうのだろう。

FtMの企業家のブログなどを読むと、「デカい仕事をする」とか「一旗揚げる」とかいうフレーズをよく見かける。起業にあたって大志を抱くことは悪いことではないが、どうも古典的な「男らしい」にとらわれている感じがする。専門知識も社会経験も乏しい若者が安易に起業したところで、経営が成り立つほど世の中は甘くはない。結局、企画の貧困、期待される利潤と社会的なリスクとのアンバランス、倫理観の未熟、コンプライアンス(法令遵守)意識の希薄さなどが相まって、ダークなビジネスに手を出してしまうのではないだろうか。

そうした背景にはFtMの就労環境の悪さがあると思う。もちろん、FtMの中にも一般企業に就職したり、専門知識や資格を身につけて自営業で真っ当に働いている人はいる。しかし、残念ながら、そうでないFtMも多い。MtFの場合、企業への就職や自営が難しくても、水商売やセックス・ワークという選択もあるが、FtMにはそうした道がほとんどない。結果、行き場がなくて無理な起業に走るFtMが多くなるのではないだろうか。

まとめにかえて
日本は、世界の中で顕著にFtMの比率が高い国である。世界的にはMtFがFtMよりやや多い国がほとんどであり、その点で明らかに特異な状況であるにもかかわらず、その理由が明らかにされていない。
 
まったくのシスジェンダー&ヘテロセクシュアルの女性がいきなりFtM化するとは考えにくく、日本におけるFtMの増加分の資源はレズビアンだと思われる。つまり、本来ならレズビアンにとどまる人がFtMに流入しているという推測である。性的に非典型な女性をレズビアンではなくFtMに向かわせる何らかの社会圧があるということだ。その要因として、全体的な女性の生きづらさ、レズビアンの隠蔽による社会的認知の低さ、レズビアン・コミュニティの未確立、同性婚の法的不可能などが考えられる。

FtM集団は、戸籍の性別変更をしていない人まで含めると、おそらく2~3万人規模であり、その多くは20代を中心とする若年層である。かなり大きな集団があるにもかかわらず、その存在が社会的に十分に認識されていない点に根本的な問題があるように思う。

急増する若年FtMが就労の困難で社会的に行き場を失っていることが、現状におけるトランスジェンダーの青少年問題の中核だと考える。

FtM、MtFを問わず、トランスジェンダーにとっての最大の課題は就労問題である。それさえ改善されれば、全体的な状況はかなり良くなるはずだ。現状をリアルに認識した早期の解決が強く望まれる。

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