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日本女装昔話【番外編・第4回】新劇女優を目指した男性 花井優子の挑戦 [日本女装昔話]

新劇女優を目指した男性 花井優子の挑戦 (1978年)

歌舞伎に代表される日本の伝統的な演劇は、女形と深い関係があります。
しかし、そうした歌舞伎(旧劇)に対抗してヨーロッパの演劇の影響下に始まった新劇は、女優中心で(例外的な劇団を除いて)女形が舞台に起用されることは稀でした。
 
そうした性別の区分がうるさい新劇の世界で「女優」を目指した一人の男性がいました。
1978年に演劇集団「円(えん)」の研究生に採用された花井優子(25)です。
 
長男として生まれた「彼女」は、母親の化粧品を塗っては鏡の前でうっとりする子供時代を経て、中学3年の時、担任の男性教師に犯され、完全に「女」に目覚めてしまいます。

ちょうどその頃、新劇の大物女優「文学座」の杉村春子の公演「女の一生」を見て感動し、新劇女優になる夢を抱きます。
 
大学進学を機に上京、テレビで見た赤坂のゲイ・クラブ「ジョイ」のママ(マダム・ジョイ)の美しさに魅せられて、女装して19歳でゲイ・クラブでアルバイトを始め、大学は2年で中退。

このままだったら典型的なゲイボーイのコースでしたが、彼女は仕事のかたわら芝居見学を続けます。

23歳の時、日本国内で去勢手術を受け、また一歩、女に近づき、そして、25歳になったこの年、ついに念願かなって「円」の研究生に採用されたのです。
 
身長168cm、体重47kg、B84W58H85というスレンダーなボディは、外見的にはほとんど女性。しかも写真のように、ちょっとエキゾチックな美形です。
花井優子.jpg
花井優子(『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号)

容姿だけなら十分に女優として通用しそうですが、容姿だけでは女優は務まりません。
彼女の場合、演技力もさることながら、最大の悩みは声。
メリハリの効いた舞台声を出そうとすると、男の地声が出てしまうのです。

その弱点をなんとか克服して「火の玉みたいな感じのする女を思い切り演じてみたいの」というのが、彼女の望みでした。
 
この記事から23年がたちました。
残念なことにその後の花井優子の動静について、週刊誌の類は何も伝えていません。
新劇女優として舞台に立つという彼女の夢は果たしてかなったのでしょうか。

演劇世界は厳しい世界です。
劇団の研究生になっても舞台に立ち、名の有る役につくにはまでには厳しい修行が待っています。
大成する人は、その中でもごく少数です。
多くは世間に名を知られることなく舞台から消えていくのです。

花井優子もその一人だったのでしょうか。
 
彼女の挑戦の数年後の1981年、ニューハーフをキャッチ・コピーに松原留美子が角川映画「蔵の中」の主演女優に抜擢されます。
しかし、彼女の女優生命も短いものでした。

1990年には矢木沢まりが「Mrレディ 夜明けのシンデレラ」に主演しましたが、やはり女優としては大成しませんでした。
大御所の美輪明宏やピーター(池畑慎之介)は別格として、トランスジェンダー「女優」はいないのが現状です。
そろそろ誰か出てきて欲しいと思うのですが・・・。
 
参考資料 :『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号

(初出:『ニューハーフ倶楽部』 第33号、2001年8月)
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