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日本女装昔話【第31回】『エロ・グロ男娼日記』の世界(その1) [日本女装昔話]

【第31回】『エロ・グロ男娼日記』の世界(その1) 1931年

国立国会図書館の特別閲覧室には、旧内務省が発禁処分にした一群の図書が収蔵されています。
その中に、流山龍之助著『エロ・グロ男娼日記』という文庫版108頁の小冊子があります。

昭和6年(1931)5月25日に、下谷区西町(現:台東区東上野1丁目)にあった三興社から刊行された翌日、「風俗」を乱すという理由で即日発禁処分を受けたいわく付きの本です。
エログロ男娼日記.jpg 
黄色と黒のモダンなデザインの表紙。
エログロ男娼日記 (2).jpg
「六年五月二十六日 禁止 別本」という処分を示すペン書きと「内務省」の丸印。

後に「削除改訂版」が出たようですが、現存する初版はおそらくこの一冊のみと思われる貴重なものです。
 
主人公は、浅草の女装男娼「愛子」(22歳)。
時代は、帝都東京がエロ・グロブームに沸き、モダン文化が花開いた昭和5年(1930)頃。
愛子の日記(手記)の形態をとった実録?小説です。
 
愛子の日常をのぞいてみましょう。
自宅は浅草の興行街(六区)の近く、朝は9~10時に起き、床を畳み、姉さんかぶりで部屋を掃除。
その後、化粧。牛乳で洗顔、コールドクリームでマッサージ、水白粉で生地を整え、パウダーで仕上げ、頬紅をたたき、口紅、眉墨を入れます。
髪は櫛目を入れ、アイロンで巻毛とウェーブを付けます。
しゃべり言葉の一人称は「あたし」「あたくし」。

銭湯は、以前は女湯を使っていましたが、男娼として界隈で有名になったので、今は男湯。
ほぼフルタイムの女装生活です。

遅い朝食を食べに食堂に入ると、男性から「よう、別嬪!」と声がかかり、馴染み客からは「お前はいつ見てもキレイだなぁ。まるで女だってそれ程なのはタントいねぇぜ」と言われるほどで、かなりの美貌。

初会の客が女性と誤認するのもしばしばで、警察に捕まった時も、刑事にも「なかなかいいスケナオ(女)ぢゃねえか」と言われ女子房に放りこまれたほど。

今風に言えば、パス度はかなりのハイレベルですね。

若い美人、しかも気立ても穏やかですから仕事はいたって順調。
会社員の若い男を誘い旅館で一戦した翌日は、朝食後にひょうたん池(浅草六区)で出会った不良中学生3人を自宅に連れ込み、まとめて面倒をみてやり、夜になって時間(ショート)の客1人、泊まり客1人で収入6円という一日。
 
電車初乗りが5銭、そばが10銭、天丼が40銭という時代ですから、6円は現在の物価に換算して15000円くらいでしょうか。
 
銀座で五十年配の立派な紳士(退役陸軍大佐)に声をかけられ、大森(現:大田区)の待合で遊んだり、ブルジュア弁護士の自家用車で、なんと京都・大阪までドライブしたり、醜男ですが誠意のある妻子持ちの請負師に妾になってくれと迫られたり、「旦那いかがです」と、うっかり私服警官に声をかけて、留置所で10日間を過ごすことになったり、なかなか波乱に富んだおもしろおかしい生活を送っています。
 
さて、女装の社会史を研究している私の関心からすると、問題は、愛子のような女装男娼が、昭和初期の東京にほんとうに実在したか?とういうことです。

その点については、また次回に。

(初出:『ニューハーフ倶楽部』第54号、2006年11月)

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