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日本女装昔話【第22回】女装スナック『ジュネ』(その1) [日本女装昔話]

【第22回】女装スナック『ジュネ』(その1) 1978~2003年

2003年12月25日、クリスマスの夜、新宿女装世界の老舗「ジュネ」(中村薫ママ)の灯が静かに消えました。

大勢の人たちに愛された薫ママの店、女装者好きの男性客と女装客が楽しい時間を共有した空間が、時の流れの中に消えていきました。
創業以来25年と2ヵ月。数々のすぐれた女装者を送り出した名門女装スナックの終焉でした。
 
「ジュネ」の開店は、1978年(昭和53)10月5日、ピンクレディの「透明人間」が大ヒットしていた頃です。

場所は、新宿花園神社の裏手に広がる木造飲食店の密集地域、「青線」(非公認売春地域)の雰囲気をかすかに残す花園五番街のアーケードをくぐって左側の2軒目の2階でした。
ジュネ.jpg 
『花園五番街、旧「ジュネ」の前に立つ女装者(久保島静香さん)。
1994年4月30日撮影。
右上の看板に「ジュネ」の「ュ」が読める。

この場所には、プロの男娼出身の田中千賀子ママの「千花」という店があったのですが、この年の7月に千賀ママが急逝したため、その跡を受けての開店でした。

旧「ジュネ」の棚の隅に、ずいぶん長い間、千賀さんの写真が飾ってあったのは、そのためです。
 
創業時のママはアマチュア女装出身の美樹さんで、当時、会社経営者だった薫さんはオーナーでありながら、アシスタントホステスとして店に出ていたそうです。

1984年5月、美樹ママが仕事の都合で関西に帰り、薫さんがオーナーママになると、人情家で面倒見の良い薫ママの人望を慕う人たちが集まり、店はどんどん活気づいていきました。
 
「ジュネ」のシステムの特徴は、女装者好きの男性客とアマチュアの女装者が空間を共にする点にあります。
プロのニューハーフがホステスとして男性客に接するのではなく、男性と女装者が共に客として出会い、おしゃべりし、お酒を飲んで楽しむという形でした。

店が男性と女装者の「出会いの場」になるというシステムを創始したのは、「ジュネ」の隣に在った新宿女装世界の元祖「梢」(加茂梢ママ、1967年2月開店。旧名「ふき」)でした。

1982年11月頃に廃業した「梢」の顧客と経営スタイルを引き継ぎ、「出会いの場」システムを確立したのが「ジュネ」だったのです。
 
花園五番街時代の「ジュネ」は、急な階段を上ったカウンターだけの狭い店。
詰めて座っても8人くらいがやっとだったと思います。

男と「女」の人口密度が高まれば、身体接触も多くなり、自然と親しさは増します。
親しくなった同士が薫ママに「ちょっと二人で散歩してらっしゃい」と促されて、店を出て八番街の「ホテル石川」へ、そんな妖しく賑やかな店でした。(続く)

(初出:『ニューハーフ倶楽部』第45号、2004年8月)

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