日本女装昔話【第21回】アマチュア女装交際誌『くいーん』 [日本女装昔話]
【第21回】アマチュア女装交際誌『くいーん』1980~1990年代
2003年の年末、女装世界に衝撃が走りました。アマチュア女装交際誌『くいーん』(隔月刊 アント商事)の突然の廃刊です。
「休刊」が告示された12月発売号は142号、1980年(昭和55)6月の創刊から数えて23年6カ月目のことでした。
『くいーん』は、1979年8月、東京千代田区神田須田町に開店した日本初の本格的な商業女装クラブ「エリザベス会館」の広報媒体として創刊されました。
化粧やファッションなど女装に関するテクニックの紹介(ハウツー)と女装者の写真入り「求友メッセージ」(文通交際欄)の二本立てで、女装や女装者に関する情報が少なかった時代にあっては、圧倒的な影響力をもっていました。
キャンディ・ミルキィさんをはじめ名の有るアマチュア女装者で同誌と無縁であった人はたぶんいないでしょう。
女装者好きの男性にとっても女装者と交際するためのほとんど唯一の貴重な手づるでした。
また、1984(昭和59)年から誌上開催された「全日本女装写真コンテスト」は、唯一の全国規模の女装者のミスコンとして大きな支持を得て、最盛期には200人以上の参加者が集まり、毎年、熱く華麗な「女の闘い」を誌上でくりひろげました。
大賞受賞者には、白鳥美香さん(88年)、村田高美さん(92年、新宿歌舞伎町「たかみ」ママ)、岡野香菜さん(94年)、萩野静菜さん(99年、大阪堂山「マグネット」チーママ)など、後に『ニューハーフ倶楽部』のグラビアを飾るそうそうたる名前が、きら星のごとく並んでいます。
もう一つ触れておかなければならないことは、この雑誌が石川千佳子さん(筆名:石川みどり、梅子)という一人の女性編集者によって作り続けられたことです。
1984年に「女装マニア誌『くい~ん』編集長は22歳のピチピチギャル」として写真週刊誌に紹介されて以来20年。まさに女盛りの日々を女装雑誌にかけた感があります。
1990年代初めくらいまでは、海外取材に基づく外国の女装事情の紹介や、学術的な論説など、現在から見ても水準以上の意欲的な記事が数多く掲載されました。
しかし、その後は、そうした意欲が感じられなくなり、ひたすらマンネリ化の道をたどった感があります。
編集長への権限の集中(「女帝」化)など批判はあったにしろ、一人の人間が20余年にわたって一つの雑誌を作り続けたことは、やはり偉業と言うしかありません。
その長年のご苦労に、心からの感謝を捧げたいと思います。
『くいーん』が1980~90年代のアマチュア女装者の量的拡大・質的向上に果たした功績は比類のないものがありました。
しかし、近年のEメールやインターネットの急速な普及は、同誌の柱である「文通交際欄」を完全に過去のものにしてしまいました。廃刊は、時間の問題だったのかもしれません。
ともかく、『くいーん』の廃刊は、私を含め同誌を故郷とする者にとって、一つの時代の終わりをしみじみと感じさせられた出来事でした。
(初出:『ニューハーフ倶楽部』第44号、2004年5月)
2003年の年末、女装世界に衝撃が走りました。アマチュア女装交際誌『くいーん』(隔月刊 アント商事)の突然の廃刊です。
「休刊」が告示された12月発売号は142号、1980年(昭和55)6月の創刊から数えて23年6カ月目のことでした。
『くいーん』は、1979年8月、東京千代田区神田須田町に開店した日本初の本格的な商業女装クラブ「エリザベス会館」の広報媒体として創刊されました。
化粧やファッションなど女装に関するテクニックの紹介(ハウツー)と女装者の写真入り「求友メッセージ」(文通交際欄)の二本立てで、女装や女装者に関する情報が少なかった時代にあっては、圧倒的な影響力をもっていました。
キャンディ・ミルキィさんをはじめ名の有るアマチュア女装者で同誌と無縁であった人はたぶんいないでしょう。
女装者好きの男性にとっても女装者と交際するためのほとんど唯一の貴重な手づるでした。
また、1984(昭和59)年から誌上開催された「全日本女装写真コンテスト」は、唯一の全国規模の女装者のミスコンとして大きな支持を得て、最盛期には200人以上の参加者が集まり、毎年、熱く華麗な「女の闘い」を誌上でくりひろげました。
大賞受賞者には、白鳥美香さん(88年)、村田高美さん(92年、新宿歌舞伎町「たかみ」ママ)、岡野香菜さん(94年)、萩野静菜さん(99年、大阪堂山「マグネット」チーママ)など、後に『ニューハーフ倶楽部』のグラビアを飾るそうそうたる名前が、きら星のごとく並んでいます。
もう一つ触れておかなければならないことは、この雑誌が石川千佳子さん(筆名:石川みどり、梅子)という一人の女性編集者によって作り続けられたことです。
1984年に「女装マニア誌『くい~ん』編集長は22歳のピチピチギャル」として写真週刊誌に紹介されて以来20年。まさに女盛りの日々を女装雑誌にかけた感があります。
1990年代初めくらいまでは、海外取材に基づく外国の女装事情の紹介や、学術的な論説など、現在から見ても水準以上の意欲的な記事が数多く掲載されました。
しかし、その後は、そうした意欲が感じられなくなり、ひたすらマンネリ化の道をたどった感があります。
編集長への権限の集中(「女帝」化)など批判はあったにしろ、一人の人間が20余年にわたって一つの雑誌を作り続けたことは、やはり偉業と言うしかありません。
その長年のご苦労に、心からの感謝を捧げたいと思います。
『くいーん』が1980~90年代のアマチュア女装者の量的拡大・質的向上に果たした功績は比類のないものがありました。
しかし、近年のEメールやインターネットの急速な普及は、同誌の柱である「文通交際欄」を完全に過去のものにしてしまいました。廃刊は、時間の問題だったのかもしれません。
ともかく、『くいーん』の廃刊は、私を含め同誌を故郷とする者にとって、一つの時代の終わりをしみじみと感じさせられた出来事でした。
(初出:『ニューハーフ倶楽部』第44号、2004年5月)
2020-07-24 21:17
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