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【論考】トランスジェンダー大学教員として思うこと [論文・講演アーカイブ]

この「トランスジェンダー大学教員として思うこと」は、公益財団法人日本学術協力財団の機関誌『学術の動向』2019年12月号、特集「Gender Equality 2.0からSDGsを展望する」に掲載されたものです。
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内容的には、2019年7月4日の国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)&日本学術会議主催の、GS10フォローアップ2019公開シンポジウム「Gender Equality 2.0からSDGsを展望する—架け橋—」(市ヶ谷:科学技術振興機構・東京本部)でお話ししたことがベースになっている。

編集委員長である伊藤公雄先生(京都大学名誉教授・京都産業大学教授・高校の先輩)には、たいへんお世話になりました。
こうした機会をいただきましたこと、とても感謝しています。

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        トランスジェンダー大学教員として思うこと
          三橋順子(明治大学文学部非常勤講師)

1 トランスジェンダーがかかえる問題
トランスジェンダー(ここでは、生まれた時に指定された性別とは異なる性別で生活している人)の人生は、一般の人生のスタートが0からだとすると、マイナス50からの出発と言われます。

50のマイナス分は、自分が望む性別を獲得することに費やされます。望む性別の獲得の内実は、身体の外形を医学的な処置によって可能な限り望みの性別に近づけたり、戸籍の性別を変更するなど人によってさまざまです(すべてのトランスジェンダーが戸籍の性別変更まで望むわけではありません)。共通することは、日本のような男女二元社会(世の中には男性と女性の2つしかなく、それは生まれてから死ぬまで変化しないと認識されている社会)の中で、男女どちらかの望みの性別で(完璧でないにしても,ある程度)適合しなければならないということです。そうでなければ、社会活動がきわめて困難になります。

これだけでも相当な難事であり、その途中で倒れる人や、なんとか達成して一般の人並みの0からのスタートラインに立てた時には、もう力が残っていない人も出てきます。性別移行の途上や、性別移行達成後に自殺する人が後を絶たないのは、そういうことなのです。

やっと0からスタートして、勉学と研鑽を重ねて、いざ就職ということになると、また大きなハンデキャップがあります。トランスジェンダーであることがわかると、これまで日本の企業はまず採用しませんでした。まして、戸籍の性別変更をしていないトランスジェンダーの場合、外見上の性別と書類上の性別が異なれば、試験さえ受けさせてもらえない、実質的な「門前払い」が通例でした。

0からスタートして頑張って、一般の人と同じ100のラインまで来ても、トランスジェンダーの場合は駄目なのです。150、いや200くらいの実力があって、はじめて一般の100の人と同等になるという感じです。それは、どんなに努力をしてもトランスジェンダーであるということだけで認められなかった私の実感です。

ここまで読んで、それは女性の就労差別と似ていると思われた方がいるでしょう。たしかに構造的に似ています。女性は120くらい(あるいはもっと?)の実力があって、はじめて男性と対等という感じでしょうか。

違うのは、女性の就労差別については、それなりに社会的認知・問題認識があり、かつ「男女雇用機会均等法」という差別解消のための法的裏付けがあるのに対し、トランスジェンダーの就労差別についてはほとんど社会的認知がなく、「性別を理由として、差別的取扱いをしてはならない」としているはずの「均等法」においても実質的に対象外(想定外)だということです。

日本社会では、就労だけでなく、さまざまな分野の「ジェンダー平等」において、そもそもトランスジェンダーの存在が想定されていないのです。そして、私のような男性から女性へのトランスジェンダー(Trans-woman)の場合、トランスジェンダーへの差別と女性への差別を二重に受けることになります。

2 私の体験から
さて、私は2000年度に「三橋順子」として中央大学文学部兼任講師に任用され「現代社会研究(5)」の講義を担当しました。日本初のトランスジェンダーの大学教員ということで、初回の講義の日には、週刊誌が3つも取材に来るという騒ぎになりました。それらが店頭に並ぶとすぐに、たくさんの抗議電話が大学にかかってきました。

20世紀末までの日本のトランスジェンダーの就労は、ショービジネス(ダンサー)、飲食接客(ホステス)、性風俗産業(セックスワーカー)の3つにほぼ限定されていました。私はそれを「ニューハーフ三業種」と呼んでいますが、それらの業種に就くのなら社会的に許容されるが、それ以外の業種には就けないという状況(社会慣行)でした。ちなみに「ニューハーフ」とは商業的な(男性から女性への)トランスジェンダーを指す和製英語です。

私は、そうした社会慣行を打ち破ったので、「神聖な学問・教育の場である大学の教壇にニューハーフが立つなんて」という感じで、社会的衝撃・反発がとても大きかったのです。

2003年に都内のある中学校の授業にゲスト講師として招かれた時には、わずか1コマ(50分)の授業なのに、地元の保守系の女性団体が「ニューハーフを教壇に立たせるな!」と反対運動を展開しました。私は中学・高校(社会科)の一級教員免許を持っているのに。21世紀の初頭ですら、教育や学術の分野にトランスジェンダーが関わることに、どれだけハードルが高かったか、分かっていただけると思います

以来、20年、8つの大学で非常勤講師として講義をしてきましたが、教育面での性別に関わるトラブルはありません。講師がTrans-womanであることは、シラバス(講義要綱)に明記してあるので、そういう講師に教わりたくない学生は受講しません。ときどき、シラバスをちゃんと読まずに履修して初回のガイダンスで驚く学生はいますが、だいたい数回で慣れます。

苦い思い出は、ほとんど事務方とのトラブルです。2005年度に専論講座としては日本初となる「トランスジェンダー論」の講義を担当した、お茶の水女子大学ではトラブルの連続でした。1つは通勤費の算出のベースになる出勤簿に本名(戸籍上の男性名)で捺印するように言われたこと。もう1つは「職員録」への記載で「本名」か「本名と通称(女性名)の併記」かの選択を迫られたことです。どちらも拒否しました。なぜなら辞令は私の通称(女性名)である「三橋順子」でいただいていたからです。

「ジェンダー研究の本山」を自認する大学が「日本最初のトランスジェンダー論の講義をしてほしい」と呼んでおいて、この有様でした。前者に関しては、毎回のことなので、さすがに嫌気が差して「それなら通勤費、いただかなくて結構です。たかが720円で筋は曲げられません」と開き直ったところ、事務の人が「では、ご本名の印鑑をこちらで買って捺し直します」という、信じられないような解決になりました。

また、2012年度から「ジェンダー論」の講義を担当することになった明治大学文学部では、履歴書の性別欄でトラブルになりました。私の場合、自分のジェンダー(社会的性別)に従って「女」と書けば有印私文書不実記載になりかねないし、かといって「男」と書くのはジェンダー・アイデンティティに反するのでできません。また「男女雇用機会均等法」の趣旨からも履歴書の性別欄は不要と考えるので、性別欄は不記載(空白)にしています。

今回もそうしたところ、人事課から性別欄に「『男』と書くように」というメモが付されて履歴書が戻ってきました。私が、先に記したような空白にする理由を説明したところ、「性別欄が空白の履歴書は前例がなく受け取れない」という返事。先例がないのは当たり前で、私が「初めて」なのですから。「それでは仕方がありません、講師就任はこちらからお願いしたことではありませんので、結構です」ということで任用手続きが完全に止まってしまいました。

私がなぜ妥協しないか、それはきっと私の後に続いてくれるだろうトランスジェンダーの大学講師に悪しき先例を残したくなかったからです。それが、トランスジェンダー大学教員のパイオニアである私の責務だと考えたからです。

結局、たかが一非常勤講師の人事に、学長さんが「履歴書をそのまま受け取るように」と人事課に指示を出し、私の任用は実現しました。

3 問題解決のために必要なこと
長々と過去の事例を記したのは、通勤簿に捺す印鑑、履歴書の性別欄のような小さなものが、トランスジェンダーの就労の妨げになるということです。硬直した男女二元論のシステムによって、トランスジェンダーの就労が困難になり、能力を発揮する場が奪われている現状があるのです。

ここで気づいてほしいのは、他の6つの大学では、事務方とのトラブルはほとんどなかったことです。ある大学で、性別欄の空白について尋ねられましたが、説明をしたら納得してもらえました。つまり、わずかな配慮、システムの修正によって、トランスジェンダーの就労状況の改善は可能であるということです。

トランスジェンダーが社会に求めているのは、性別の自己決定の尊重と、その社会的承認です。なにも性別二元社会を根底から覆すような要望をしているのではありません。トランスジェンダーの存在を認識して、小さな配慮・システムの修正をしてほしいという要望です。

ここでトラブル事例として紹介した明治大学は、今では「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を出し、性的マイノリティ、とりわけトランスジェンダーへの配慮をマニュアル化した先進的な大学になっています。

人口減少社会である21世紀の日本社会には、性的マイノリティを排除している余裕はもうありません。性的マイノリティを排除せず多様性(ダイバーシティ)の1つとして包摂(インクルージョン)し、能力を活かしていくことが、より豊かな社会につながり、その方が日本社会にとって「得」だということです。

早い話、わずか1cm四方の性別欄にこだわって、(安い給料にもかかわらず)毎期400人前後の受講生を集める人気講師を逃すのと、システムを少し修正してその力量を活かすのと、どちらが「得」かということです。

もう一度、トランスジェンダーの人生をたどってみましょう。まず小学校~高校では、2016年4月1日の文部科学省の通達「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について」で、教育現場の対応が進み、かなりの改善がなされました。

大学での就学については、2015年くらいから、国際基督教大学、明治大学、早稲田大学、大阪府立大学、龍谷大学、筑波大学などでトランスジェンダー学生への対応ガイドラインが策定され、望みの性別での通称名の使用を認めるなど、積極的な対応がなされています。とりわけ2018年度から導入された筑波大学のガイドラインは、病理を前提にしない(診断書の提出を求めない)対応方針で、かつ極めて詳細なものです。今後、他大学のお手本になるでしょう。

また、お茶の水女子大学、奈良女子大学、宮城学院女子大学など、いくつかの女子大学で、2020年度以降、Trans-womanの受験生を「女子」として受け入れることになりました。

このように教育面では、この数年でトランスジェンダー学生の状況は大きく改善されています。残る障壁は就労です。就労差別さえなくなれば、トランスジェンダーの状況は間違いなく大きく改善されます。そのためには、学生を社会に送り出す大学関係者の理解とバックアップが強く求められるのです。

今回、私を「ジェンダー・サミットのフォローアップシンポ」に呼んでいただいたこと、『学術の動向』に執筆の機会をいただいたことが、日本社会におけるトランスジェンダーの存在を認識し、その状況の改善の必要性を考えていただく、きっかけになれば、たいへん幸いに思います。

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