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「純綿・純女」 ―講談社現代新書『性的なことば』から [論文・講演アーカイブ]

三橋順子「純綿・純女」 井上章一+斎藤光+渋谷知美+三橋順子『性的なことば』(講談社現代新書、2010年)407~412頁
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純 綿・純 女 (三橋 順子)

「おい、順子、あれはどっちだ?」
ここは新宿歌舞伎町の女装スナック「ジュネ」。トイレに立って席に戻る途中の私を、カウンター席で飲んでいた常連客のSさんが引きとめた。そして、ボックス席で私が相手をしていた女性を指差しながら尋ねた。
「彼女ですか? 本物ですよ」
「なんだ、やっぱり、純綿(じゅんめん)かぁ。いい女なのに惜しいな」

新宿の女装コミュニティの店は、女装客と女装者を好む(非女装の)男性客との出会いの場所であり、希に来店する女性客はゲスト扱いで、男性客が口説いたり、お触りしたりするのはタブーである。

女装者好きの男性(女装者愛好男性)の代表格であるSさんが、目をつけた相手が生得的な女性であることを知って残念に思ったのは、そういうわけだ。このように女装コミュニティやニューハーフの世界では、生得的な(遺伝的な)女性のことを「純綿(じゅんめん)」と呼んできた。

この言葉を最初に耳にしたのは、私がこの店のお手伝いホステスをするようになった一九九五年から程ないころだったと思う。

「じゅんめんって、どう書くのですか?」と尋ねた私に、薫ママが「純粋の純に綿(わた)って書くのよ。昔、スフっていう人工綿があってね、それって綿としてまがい物なわけ。それが私たち(女装者)。本物の綿が純綿で、本物の女性ってことなのよ」と教えてくれた。

スフとは、いわゆるレーヨン(rayon)のことで、絹、もしくは木綿の安価な代替品として用いられた再生繊維である。レーヨンが、ステープル・ファイバーと言われたことからスフと呼ばれた。

つまり、品質の劣る人工繊維のスフを自分たち女装者にあて、生得的な女性を純度100%の天然繊維に例えたもので、かなり自虐的な臭いが感じられる。しかし、そこには、ゲイ(男性同性愛者)コミュニティに見られるミソジニー(女性嫌悪)とは逆の、女装コミュニティにおける生得的な女性に対する憧憬の意識がうかがえる。

では、純綿という言葉が生まれたのはいつのことだろうか。小説家の吉行淳之介に「男娼会見記」というエッセイがある。現在は、『吉行淳之介エッセイ・コレクション2 男と女』(ちくま文庫)に収録されているが、初出は1963年8月刊行の『紳士放浪記 男と女のにんげん術』である。ただ、文中の記述から「会見」は、もう少し以前、おそらくは1950年末に行われたように思われる。

「男娼について、又それに関連して同性愛について、私は幾分の知識を持っている。しかし、私がその知識を得たのは、そのことに関して、ヤジ馬的な好奇心を持ったためであって、その性向・趣味があるためではない。つまり、私はソノ道の専門語でいえば『純綿』である。又、その知識も、僅かなものだ。一度、専門家(?)に会っていろいろ話を聞いてみたいと思った」

この記述から、1950年代末~60年代初めに「純綿」という専門用語があったことが確実にわかる。しかし、問題はその意味である。吉行の「純綿」の用法は、文意からして「その(同性愛)性向・趣味が」ない人、あるいは、「ソノ道(男娼・同性愛)」の「専門家」ではない人という意味になる。

現在のゲイ用語でいう「ノン気」(同性愛気質がない異性愛の人)に近い意味で、なにより男性である吉行が「私は・・・純綿である」と言っていることからも、女装コミュニティでの用法「生得的な(遺伝的な)女性」からは、かなり遠い。

なにぶん、文献資料が乏しい世界なので、こういう用法がなかったと断定することはできない。しかし、これはやはり誤用だと思う。ある特殊な世界に外部の人間が入ってきたときに、その世界の隠語や専門用語を誤解し誤用してしまうことは珍しいことではない。

女装コミュニティでの用法が文字として記録されたものとしては、加茂こずえ「女装交友録(二〇)」(『風俗奇譚』1969年1月号)に、現代風に言えば「パス度」(女性としての通用度)が高い女装者の写真のキャプションとして「純メンに近い女装マニア」とあるのが、今のところ、いちばん古い。

文献資料の探索は、今後も続けることにして、「純綿」という言葉が成立する状況を考えてみよう。新宿女装コミュニティの原型は1960年代後半に形作られた。さらにその淵源となるゲイバー世界は1950一年代後半に形成された。一方、スフの生産が急増して、日常の衣類に多く使われたのは50年代後半から60年代のことで、時代的にはほぼ合致する。また、本物と偽者を対比してたとえるのに、バターとマーガリンのような食品ではなく、純綿とスフという繊維製品が使われたのは、繊維業界が活況を呈していた「糸偏景気」の時代(1950年代後半)がふさわしいように思う。「生得的な(遺伝的な)女性」を「純綿」にたとえる用法は、ゲイバーの出現・急増と、スフの生産増加が重なる1950年代後半に生まれたと推測したい。

ところで、私たちの世代には、レーヨンは通じても、もうスフという言葉はほとんど通じない。したがって、スフと純綿という対応関係も頭に浮かんでこない。そうした状況下では、「じゅんめんさん」という言い方が90年代後半のコミュニティに伝わっていても、その原義やどういう漢字を当てるかということは、もうあやふやになっていた。聞きたがりの私は、一世代上のママから直接教えてもらえたが、そうでない普通の女装者には、じゅんめん=純綿という知識を持たない人もけっこういたように思う。そうした人たちの間では、「純面」という文字をあてる人もいたが、これでは何の意味かますますわからない。

さらに、90年代末くらいから、「じゅんめん」から末尾の「ん」が脱落して「じゅんめ」という言い方が行われるようになった。そして「純女」という文字があてられていく。そこから、さらにミス・ダンディなどの男装者に対して、生得的な男性を意味する「純男(すみお)」という派生語も生まれた。
 現代の女装コミュニティでは、おそらくほとんどの人が、生得的な女性をさす言葉を「じゅんめ=純女」と理解していると思う。漢字の意味合いからしても、純粋な女性という意味になるので、もとからこういう言い方だったと疑っていないのではないだろうか。

ちなみに、同義の用法として、生得的な女性を「天然もの」、ニューハーフを「養殖もの」という言い方もあるが、これはそれほど古い用法ではないだろう。

純綿から純女へという変化には、ある言葉の原義が忘れられ、言葉が崩れていく過程で、いかにももっともらしい漢字があてられ、その結果、言葉が再生するという、辞書に固定化されない俗語ならではの変容を見ることができ、興味深いものがある。

しかし、「純女」という専門(業界)用語を知ったからといって、生得的な女性が、女装者やニューハーフの前で「私たち純女は・・・」と、あまり言わない方がいいと思う。聞いている女装者やニューハーフにしてみると、「そっち(本物の女)が純女なら、あたしたちは不純女(ふじゅんめ)かい」と皮肉のひとつも言いたくなるから。

図版(純女).jpg
原キャプションで、発音が「純メン」であることが確認できる。
(『風俗奇譚』1969年1月号)



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