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(講演録)「GID(性同一性障害)学会」第22回研究大会・教育講演「GID以前と以後」 [論文・講演アーカイブ]

「GID(性同一性障害)学会」第22回研究大会は、当初、2020年3月20・21日に川崎市で開催されるはずだった。
22回GID学会 - コピー.jpg
私は、川崎市在住ということで、大会長の中山浩先生(川崎市こども家庭センター部長)からご指名いただき、教育講演をさせていただくことになった。
ところが、残念なことに「コロナ禍」のため、大会は延期になってしまった。

そして、1年経っても「コロナ禍」は収まらず、結局、川崎市での開催は幻に終わり、2021年4月に、オンデマンド開催ということになった。

これは、その記録である(一部、誤字訂正)。

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「GID(性同一性障害)学会」第22回研究大会    2021.04.03(オンデマンド配信)
           教育講演
        GID以前と以後
      三橋順子(性社会文化史研究者・明治大学非常勤講師)

皆さん、こんにちは。教育講演を担当いたします三橋順子です。実は、GID学会で講演させていただくのは3度目になります。1度目は2015年の第17回大会(大阪府立大学)の基調講演「性別越境現象」、2度目は2018年の第20回大会(東京・御茶ノ水)の特別講演「GID学会20年の歩みをふりかえる――医療者でもなく、当事者でもなく――」です。理事でもない永世平会員の私がこうした機会を3度もいただくこと、たいへん感謝しております。僭越ではありますが、よろしくお願いいたします。

(参照)
第17回基調講演の記録 https://junko-mitsuhashi.blog.ss-blog.jp/2015-03-23-2
第20回特別講演の記録 https://junko-mitsuhashi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26

とはいえ、3度目ともなりますと、さすがにお話しするネタも乏しくなります。苦肉の策として、今回は「GID以前と以後」と題しまして「以前」と「以後」の2題話をいたします。日頃、学生には「レポートのテーマは1つに絞りなさい」と言っているのですが、困ったものです。当初の予定では2つをつなぐ話も少しはしようと思っていましたが、「オンデマンド配信」ということで、機材の関係でできなくなりました。

言い訳は、このくらいにして、本題に入りましょう。「以前」については、日本最初のSRS(Sex Reasignment Surgery)についての新発見史料をご紹介します。「以後」については、現在の重要課題である、性別移行の法システムの再構築についてお話します。

第1部 GID以前 ー日本最初のSRSについての新史料ー
日本最初のSRSは1951年4月頃、永井明さん(女性名:明子)に対して行われたもので、執刀は石川正臣日本医科大学教授(1891~1987年、後に日本産婦人科学会会長)でした。
ちなみに、この手術は、1951年5月15日のイギリスのRobert Cowell(女性名:Roberta)より前の可能性が大で、戦後では世界で最も早い事例と思われます。 

 (図1)永井明子さん(1954年頃)
しかし、新聞報道や、手術を受けた永井明子さんの「手記」はあるものの、執刀医である石川教授側の資料はほとんどなく、術式などは不明でした。

ところで、現在、私は1950~60年代の「性風俗雑誌」の収集とアーカイブ化計画を進めているのですが、その一環として『風俗奇譚』1961年12月号(文献資料刊行会)を購入して、内容をパラパラ見ているうちに「医学博士 石川明 性転換手術はこうして行なう」という記事の重要性に気づきました。2019年のことです。
風俗奇譚196112 - コピー.JPG   
(図2)『風俗奇譚』1961年12月号の表紙
IMG_2345 - コピー.JPG
(図3)同、目次の一部

実は、この記事、20年近く前にコピーしてファイルしてあったのですが、当時は、ほとんど気に留めていませんでした。ということで、厳密には新発見でなく、再発見です。

ポイントは著者名です。石川明という著者名は、執刀医の石川正臣と手術を受けた永井明を合成したアナグラムだったのです。

石川正臣
     → 石川 明
永井 

なぜ、これまで気づかなかったのか?と思うと同時に、これは本物だと思いました。それは、内容を読むうちに確信になりました。

石川明「性転換手術はこうして行なう」(『風俗奇譚』196112) (1).jpg

石川明「性転換手術はこうして行なう」(『風俗奇譚』196112) (2).jpg
石川明「性転換手術はこうして行なう」(『風俗奇譚』196112) (3).jpg
(図4) 記事全文

記事は、A5版3段組4ページの短いもので、最初に短い序文があり、以下、①「転性手術の歴史」、②「現在の手術方法」、③「将来の見通し」の3章構成になっています。

序文には「性転換手術は、実際どのように行ない、どのような結果になるか、また手術に要する費用、日数などはどのくらいか、などということについて、関心をお持ちのかたも少なくないと思われますので、外科の臨床にたずさわっている者として、実例をお知らせしよう。」とあり、著者が「外科の臨床にたずさわる人」であることがわかります。

最も興味深いのは、②「現在の手術方法」、つまり1950年代~60年代初頭の術式についての記載です。この部分は、去勢のみ、去勢&陰茎切除、造膣の3段階に分けて記述されています。

まず去勢手術については、次のように述べています。
「なるべく陰嚢上部に二センチほどの切開を入れる。その線が縦か横かうるさくいう人もいるが、どっちでも大差はない。切り口から片方ずつ睾丸を脱転させて(これは割合簡単にコロリと出る)から、精管その他を糸で縛って切り離す。消毒は、赤チン程度でじゅうぶんである。切開したところもまた、しいて縫わなくてよい。」
「この手術は、簡単で、しかも効果はほかの転性手術と全然変わらないから、もっと普及してもよさそうなものだが、実際に希望者が非常に少ないのは、やはり、きわめて小さくはなるが、陰茎と陰嚢が残ることであろう。」
「もし、費用の点から手術に踏み切れない人がいたら、まず、この簡便法だけを受け、その後、適当な時期に、陰茎切断をおやりになるといい。早く去勢手術を受ければ、それだけ早く効果が現われるわけであるから。」
「この手術さえ受けていれば、あとは女性ホルモン(卵胞ホルモンだけでよい)を適宜使用することで、徐々に男性性徴のいくつかを消すことができる。」

現代の医学水準からしても大きな違和感はない見解だと思います。切開線の縦か横かに言及するあたり、プロであることを感じさせます。

続いて、当時の言い方で「性転換手術」の説明になります。
「外見上も完全に女性性器化する方法をのべよう。これが、いわゆる性転換手術であるが、細かくいうとまだ二段階ある。つまり膣を造るか造らないかである。かつての未熟な外科技術では人工造膣など思いもよらないことだったが、今は時間さえかければ、なんでもない。」

興味深いのは、「少し特異なのは患者の寝かせかたで、両足を開いたかっこうで、少し頭のほうを低くして、あおむけに、つまり産婦人科の診察台を少し頭のほうに傾けたものと思えばよい。」と手術時の姿勢について述べていることで、GID学会でもSRSを行う形成外科の先生がこの点について見解を述べているのを思い出しました。

以下、詳細な術式の説明が続きます。
「メスは陰茎のつけねの上の部分から入れて、陰嚢のつけ根にそって左右両側から肛門の前二センチのところまで皮膚を切る。昔の去勢であれば、そのとき陰茎も睾丸もみんな切ったわけだが、いまは、切るのは皮膚だけである。そうすると、陰茎の亀頭の部分だけがひっついているだけで、ペロッと皮膚がとれ、陰茎の筋肉や睾丸が露出するわけである。もちろん、止血その他は、皮切の進行につれて行なっていく。
まず、処置するのは、睾丸である。鼠径部(太もものつけ根)で精管とその他を分離して、別々にそれぞれ縛ってから切断する。これで両方の睾丸はからだから離れるわけである。
つぎに、横下腹にある陰茎靱帯(勃起させる筋)を切ってから、陰茎を前から後ろへ引きはがすようなつもりで、陰茎海綿体(陰茎の上半部)と恥骨とがくっついているのを削りとりながら切り離す。これで、陰茎は尿道海綿体(下半分)がすこしからだについているだけで、ダラリとなる。
あとは、新しい尿道口をどこにつくるか長さをかげんして横に切断すればいい。
傷口の縫合は、女性の陰唇部に相当する。余裕も残さなければならないし尿道の位置もそれに見合うものでなくてはいけない。針も糸も細めのもので、縫合間隔も比較的せまく縫う。このあと、尿道には、カテーテルという細い管を入れておいて、排尿が不便でならないようにする。人工造膣を行なわない場合は、一週間ほどで抜糸できる。
女性に造膣手術をする場合(まれにそういう人もいる)だと、膣壁用に大腿部の皮膚などを切りとらなくてはならないが、転性手術の場合は、切りとった陰嚢が、ちょうどよい。陰嚢の、内側だったほうを外に裏返してプロテーゼ(棒)にかぶせる。太すぎる場合は、縫い縮めてから。前につくっておいた隙間に挿入するわけである。プロテーゼはむろんそのままにして、それから縫合である。」

造膣手術の術式が「反転法」であることが確認できます。この点、新聞記事などでは、何で「内張り」したのか不明確だったのですが、陰嚢の皮膚を使ったことがはっきりしました。

術式を詳しくかつ明瞭に述べている点、試行錯誤段階ではなく、すでに術式が確立していることを思わせます。この点については、転性希望者への「性転換手術」が、膣のない女性への膣形成手術の応用であることによると思われます。そして、なぜ産婦人科の教授が最初の「性転換手術」を執刀したのかということも、理解できました。
ただ、術式の解説が詳しすぎ、性風俗雑誌の読者のほとんどには不要(理解不能)な情報のように思います。私も術式の詳細についてはコメントする能力がないので、評価は現代の形成外科の先生方にお委ねいたします。

以下、術後のケアについては、
「プロテーゼのぬきかえ(毎日行なう)を行なうときは、傷口にふれるので、痛みを訴える患者が多い。ややもすると、人工膣は、腹圧によってつぶされがちだから、気長に治療することが必要である。」

全治については、
「造膣なしの場合で二週間、造膣をともなう場合で一カ月というところであろう。」
と述べています。

そして、費用については、
「術者の技術によってかなり幅があるが、入院費こみで、膣なしが五万円前後、膣つきが十万円前後と思えばよい。」
と述べています。

1960年代初頭の物価を現代に換算するのは、物によって価格上昇率がかなり異なるので難しいのですが、いろいろ考慮すると、だいたい10~15倍見当だと思います。
つまり、造膣なしで現在の50~75万円、造膣までして100~150万円に相当するということになり、現在の感覚と大きな違和感はないと思います。

最期の③「将来の見通し」では、
「将来、生体蛋白の構造が究明されつくしたあかツきには、他人の臓器との交換も可能になるだろうから、性転換者が妊娠して子供を生めるようになる可能性もあるかもしれない。」
と述べていて、1961年という時代を考えると、とてもハイレベルな見識だと思います。

さて、石川教授はなぜ、1961年というこの時点で、それまでの沈黙を破って「性転換手術」について語ったのでしょうか?
1つは、1951年の永井明子さんの手術から10年が経った時期であることが考えられます。「ほとぼりが冷めた」ということです。
もう1つは、1891年生まれの石川博士は1961年に満70歳で、大学教授として定年退職を迎えた可能性が高いことです。フリーな立場になり、今まで控えていたことを語れるようになったという推測です。おそらく2つの理由が相まってではないかと思います。

ここでふと、思ったのですが、石川教授が執刀した「性転換手術」は、1951年の永井明子さんの1例だけだったのでしょうか?
この記事のまったく気負いがない、いたって平静な記述からすると、もっとしていたのではないか?と思えてきます。たとえば1955年に完全な男性から女性への「性転換手術(造膣あり)」を受けた人としては(知られている限り)2例目の古川敏郎(女性名:椎名敏江)の場合、手術を受けた場所は「大きな病院」としかわかっていません。もしかして、石川教授が・・・と妄想しています。もちろん証拠はないのですが。

ここまでの内容、実は22回大会の一般演題でお話して「優秀演題賞」で理事長先生から表彰していただこうともくろんでいました。
その願望が虚しくなったところで、第1部を終えたいと思います。

要は、日本はけっしてSRSの後進国ではなく、むしろ1950~60年代前半までは世界の最先端の水準だったということです。

第2部 GID以後 ーICD-11の施行にともなう性別移行法の制定ー
時代も内容もガラッと変わって、「GID以後」のお話しは、ICD-11の施行にともなう性別移行法の制定についてです。

皆さん、ご存知のように、2019年5月の世界保健機関(WHO)総会で新しい「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」(ICD-11)が採択されました。これによって従来の第10版(ICD-10)で精神疾患のグループ名(F64)として記載されていた「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」という概念は無くなり、同時にそのグループに病名として規定されていた「Transsexualism(性転換症)」と「Dual role transvestism(両性役割服装倒錯症)」も消滅しました。

そして、新設された「Conditions related to sexual health(性の健康に関連する状態)」の章に「Gender Incongruence(性別不合)」が置かれました。つまり、ICD-11によって、性別に違和感があること、性別の移行を望むことは、Disorder(疾患)からCondition(状態)になったということです。
病理維持派の人たちが「病名が変わっただけ」と言うのは、明らかな間違いです。

こうして1990年のICD-10による同性愛の脱病理化に遅れること29年にして、世界のトランスジェンダーの多くが待ち望んでいた性別移行の脱精神疾患化がようやく実現しました。

ここで留意すべきは、脱病理化(Depathologization)は脱医療化(Demedicalization)ではないということです。日本では、両者を混同して「医療が受けられなくなる!」と、脱病理化に反対する当事者がいますが、性別移行のために必要な医療を受けたい人々の権利は当然のことながら保障されなければなりません。言い方を換えるならば、現在進行中の変化は、医療福祉モデルから(医療を受ける権利を含む)人権モデルへの転換ということになります。

ICD-11は2022年から施行されます。とにもかくにも、トランスジェンダーにとっての新しい時代の到来を当事者の一人として寿ぎたいと思います。「おめでとう!世界のトランスジェンダーの仲間たち」。
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 「WPATH2014」(バンコク)に集まったアジアのトランスジェンダーたち

さて、ICD-11の発効に関連して喫緊の課題になるのが、性別移行の法システムをどのように再構築するか?という問題です。「コロナ禍」で諸事滞っている間に2022年初のICD-11の発効まであと8カ月になってしまいました。間に合うのでしょうか?

日本は、これまで2003年7月成立(2004年7月施行)の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(GID特例法)」によって、戸籍の性別(続柄)の変更を希望する人たちに対応してきました。

しかし、ICD-11の発効によって法律の名称になっている「性同一性障害」概念が消失し、また性別移行の脱精神疾患化の決定により、性別移行の適格者を精神科医が認定するという精神疾患であることを前提とした枠組みが成り立たなくなります。そもそもの話として法律が要求している「性同一性障害」の診断書を医師が書けない状況になるのです。

さらに、「GID特例法」が定める性別変更の要件は、国際的な人権規範に照らして様々な点で問題があります。

たとえば、第3条の2項(非婚要件)、3項(未成年の子なし要件)は、「結婚している、あるいは親であるといった社会的身分もその当事者の性同一性の法的承認つまり法的性別変更を妨げない」とするジョグジャカルタ第3原則に明らかに反しています。

また、同4項(生殖機能喪失要件)、5項(性器外形近似要件)は、「性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない」とするジョグジャカルタ第3原則、および、法的な性別の変更に生殖腺の切除手術を要件とすることは、トランスジェンダーの身体の完全性・自己決定の自由・人間の尊厳に反する人権侵害であるとする、2014年の国連諸機関共同声明に明らかに抵触します。

とくに共同声明を無視する姿勢は、国連だけでなく、声明の発表後、続々と対応して法改正を行い、性別移行法から手術要件を削除した欧米諸国のメディア、人権関係のNPO、関連学会から強い批判を受けています。そうした批判に対応しなくてよいのでしょうか?
日本が人権を重視する民主国家であることを、今後も世界に標榜していくのならば、やはり無視はまずいと思います。

世の中には、国際的な人権規範など無視して、日本独自の道を進むべし、という人もいますが、だったら欧米の精神医学の所産である「性同一性障害」概念などは受け入れなければ良かったわけです。

なお、GID学会では、2019年の第21回総会(岡山大学)で、2014年の国連諸機関共同声明を支持する理事会の決定が、総会で承認されています。

現行の「GID特例法」の最大の問題点は、戸籍変更のために当事者が必ずしも望まない手術を受けざるを得ないシステムにあります。
必ずしも手術を受けたくない人に、戸籍変更のためだけに高額の費用、身体への負荷、医療事故のリスクを課すことは人権侵害ということです。
さらに、法による生殖を不能にする手術へ誘導は、明らかに生殖権の侵害です。生殖権は人間の基本的な権利であり、戸籍の変更とバーターされるようなものではありません。

こうした状況を踏まえると、「特例法」の改正ではなく、「特例法」を廃止し、新・性別移行法を制定する必要があると、私は考えます。

さて、2018年5月31日、針間克己先生(はりまメンタルクリニック院長)と私は、「日本学術会議」法学委員会「社会と教育におけるLGBTIの権利保障分科会」に参考人として招かれ、東京・乃木坂の「日本学術会議」ビルに出向きました。
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「日本学術会議」は内閣総理大臣の諮問機関である公的な機関です。針間先生と私は、三成美保委員長(奈良女子大学教授・副学長)をはじめとする委員の前で、「GID特例法」改正問題について、意見を述べました。

まず、針間先生が「性別違和(性同一性障害)と性分化疾患医療の現状と課題」と題して見解を述べ、次いで、私が「新・性別移行法」の私案をお話ししました。

私案のポイントを整理すますと、①病理を前提としない、②年齢以外の要件を規定しない、③家裁での審判システムを残す、④「お試し期間」(Real Life Experience)を設ける、⑤申請と許可の間に一定期間(1年)を置く、の5点になります。
①と②は、国際的な人権規範に沿うため、③は乱用防止の効果を持たせるため、④は性別移行の実質性を担保するため、⑤は興味本位の乱用や再変更の頻発を防止するためで、同時にそれが「お試し期間」にもなります。
国際的な人権規範を重視しつつ、日本社会との適合性を重視したたつもりです。
 
(参照)
三橋順子「LGBTと法律 ―日本における性別移行法をめぐる諸問題―」(谷口洋幸編著『LGBTをめぐる法と社会』日本加除出版、2019年)

この意見陳述から、2年半が経った2020年10月、「日本学術会議」法学委員会「社会と教育におけるLGBTIの権利保障分科会」の意見書「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けてー」が提出されました。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-4.pdf

その内容は、①「GID特例法」の廃止と新「性別移行法」の制定、②成人要件以外の4要件(非婚要件、未成年の子なし要件、生殖機能喪失要件、性器外形近似要件)の撤廃、③戸籍における性別変更履歴の移記の廃止、などです。

①については、
「トランスジェンダーの権利保障のために、国際人権基準に照らして、性同一性障害者特例法に代わる性別記載の変更手続に係る新法の成立が必須である。国会議員あるいは内閣府による速やかな発議を経て、立法府での迅速な法律制定を求めたい。」
とし、さらに、
「トランスジェンダーの人権保障のためには、本人の性自認のあり方に焦点をあてる「人
権モデル」に則った性別変更手続の保障が必須である。現行特例法は、「性同一性障害」
(2019 年 WHO 総会で「国際疾病分類」からの削除を決定)という「精神疾患」の診断・
治療に主眼を置く「医学モデル」に立脚しており、速やかに廃止されるべきである。」
「特例法に代わる新法は「性別記載の変更手続に関する法律(仮称)」とし、国際人権基準に則した形での性別変更手続の簡素化が求められる。」
と、「医学モデル」から国際人権基準に則した「人権モデル」への転換を提言しています。
この点については、私もまったく同感です。

②の内、生殖機能喪失要件については、
「身体への侵襲を受けない権利」(憲法13 条)を保障するという見地からも、WHO を含む国際機関からの2014 年共同声明に記された国際基準の見地からも、生殖不能要件を廃止することを提案する」
としています。

「性器外形近似要件」についても、同様に「身体への侵襲を受けない権利」は、憲法 13 条による保障されるものである。」としたうえで、「特例法」の立法理由で挙げられている「(トイレ、更衣室、公衆浴場などの施設利用にともなう社会的)混乱や問題」については、「メーカーや施設責任者の協力を得て設備や環境の改善による対応が可能であり」、また「トランスジェンダーを装う「なりすまし」は犯罪行為であり、刑事法で対応すべき」とし、結論として「トランスジェンダーの「身体への侵襲を受けない権利」を否定する根拠にはならず、目的と手段があまりに不均衡である」として、生殖不能要件と外性器近似要件(合わせて手術要件)の廃止を提案しています。

人権と生活習慣との間に対立が生じる可能性がある場合、両者の擦り合わせが必要になりますが、その際には、生活習慣を改善すべきであり、人権を抑圧すべきでないことは、当然だと思います。

③については、戸籍に「【平成15 年法律第111 号3条による裁判確定日】」という性別変更履歴を記載することを止めるべきという提言です。これは以前から、戸籍の性別を変更した人たちが主張していたことです。

実は、「提言」が公表される半年前の2020年3月19日に、日本学術会議で「意見交換会」が開催され、参考人として、針間先生、公明党の谷合正明参議院議員、そして私が出席しましたが、その時には、すでに「提言案」ができていました。
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机の上に置かれていた「提言案」を一読して、正直言って、かなり驚きました。

「人権モデル」に基づいた積極的な「提言」はおおいに評価できますが、司法機関がまったく関与することなく、行政手続きだけで性別が変更できる実質的な「届出制(自己申告)」であり、従来の法システムに比べてかなり急進的なものだったからです。
私が重視する、日本社会の現実との適合という点で、いささか不安を覚える内容でした。

やはり、なんらかのゲイト・キーパーは必要なのではないでしょうか。その役割をこれまでは精神科医が務めてきました。しかし、性別移行の脱精神疾患化が達成された今、それは法理からして無理です。となると、その役割は家庭裁判所に委ねるしかありません。これまでも家裁は「審判」という形で介在していたはずですが、実際にはほとんど形式的でした。それに少しは実質性を持たせたらどうかと思うのです。

ちなみに、私のこうした意見は、「トランスジェンダーの性別変更意思が確定的であることを担保するために、申告から一定期間経過後に性別変更の記載をすることや、家庭裁判所が意思確認をすることなどが考えられる。」という形で「提言」に付言的に取り込まれています。

残念ながら、現在の自民党・菅内閣の「日本学術会議」への抑圧的な姿勢からして、「提言」がそのまま実現する可能性は低いでしょう。
しかし、内閣総理大臣の諮問機関が提出した公的性格をもつ「提言」です。
一部のLGBT団体などが「GID特例法」の「改正」運動を進めているのは、「提言」を無視している点、脱精神疾患化の意義を十分に理解せず、精神疾患を前提とした「特例法」の枠組みを維持しようとしている点の二つで、筋としても、法理としても間違っていると思います。

性別移行の法システムの再構築という課題については、私案の提示、「日本学術会議」への意見具申など、社会的影響力に乏しい野良講師の私にできることは、やったつもりです。

結果がどうなるか?わかりませんが、私としては、新「性別移行法」が、国際的な人権規範に適う、欧米諸国に恥ずかしくない内容になることを心から願っています。

最期に、付け加えますと、ICD-11の施行によって、日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」も根拠を失い空文化します。1990年のICD-10では、日本精神神経学会は同性愛を精神疾患とする従来の姿勢をなかなか改めず、同性愛者団体の抗議をうけて、5年後の1995年になって、ようやく「同性愛はいかなる形でも病気ではない」という声明を出しました。今回は、そうした醜態を演じることがないように、率先して「性別を移行したいと考えることは精神疾患ではない」旨の声明を出して欲しいと思います。

そろそろ時間になりました。
これで、教育講演を終わりにいたします。

ご清聴ありがとうございました。

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