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日本女装昔話【第3回】1960年代の女装世界を語る雑誌『風俗奇譚』 [日本女装昔話]

【第3回】1960年代の女装世界を語る雑誌『風俗奇譚』(1960~1970年代前半)

『風俗奇譚』という雑誌をご存じでしょうか?。50歳以上のオジ様の中には懐かしく思い出される方も多いと思います。

『風俗奇譚』は1960年(昭和35)1月に文献資料刊行会から創刊された性風俗雑誌です。
『風俗奇譚』創刊号(196001).jpg
『風俗奇譚』創刊号 (1960年1月号)

その内容はSMを中心に、ゲイ・レズビアン、レザー・ラバー・乗馬・腹切り・女格闘技などの各種フェティシズム、そして女装と、多種多様な性的嗜好を大集合させた感じの「総合変態雑誌」でした。
    
同種の雑誌には先発の『奇譚クラブ』がありましたが、『風奇』の大きな特色は、その資料性・文学性の高さとともに女装関係記事にかなりの比重を置いたことです。

創刊間もない1960年9月号で「女装する男たち」という特集を組んでいますし、1961年1月号からは女装者専用の交際欄「女装愛好の部屋」を設置しています。

わずか見開き1枚2頁の小コーナーでしたが、女装に関する情報を毎号必ず掲載している雑誌は他に無く、このたった2頁のために同誌を購入する女装愛好者も少なくなかったそうです。
      
1963年になると、その頃活動を活発化させていたアマチュア女装結社「富貴クラブ」との提携が成立し、同会のルートで質量ともに豊富な素材が提供されるようになり、『風奇』の女装関連記事は他誌の追従を許さない充実したものになっていきます。

華かな「富貴クラブ」のパーティのルポや女装旅行や女装ドライブの様子を記した会員の手記は、当時の一般女装者には夢のような世界だったと思います。

またグラビア頁には「富貴クラブ」会員などの女装ポートレート「女装紳士録」が掲載されるようになり、その艶姿は全国の女装者・女装者愛好男性の垂涎の的となりました。
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『風俗奇譚』1962年10月号掲載の「女装紳士録」。
モデルは当時の花形女装者小野悠子さん。
    
1967年(昭和42)6月号からは、加茂梢さんの「女装交友録」の連載が開始されます。新宿花園五番街の女装スナック「梢」のママの連載は、1974年(昭和49)1月号まで足掛け8年間80回に及ぶ長期連載となり、新宿女装世界の揺籃期の貴重な記録となりました。

1968年からは、富貴クラブ会長鎌田意好氏執筆の女装SM小説が連載されるようになり、中でも1972年連載開始の「香炉変」は傑作の評を今でも耳にします。
     
『風俗奇譚』は通巻216号に当たる1974年10月号を最後に誌名を『SMファンタジア』と改称しましたが、それもつかの間で1975年(昭和50)9月号をもって終刊を迎えます。
『SMファンタジア』最終号197509.jpg
『SMファンタジア』終刊号 (1975年9月号)

1960年から70年代にかけて女装文化を側面から支え記録した同誌の意義は、たいへん大きなものがあったと思います。

(初出:『ニューハーフ倶楽部』第26号、1999年 11月)
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