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【対談】「変わるものと、かわらないもの。女装文化への語らい。」 [論文・講演アーカイブ]

8月11日(金・祝)

『女装と思想』第6号(テクノコスプレ研究会、2015年12月31日刊行)に「巻頭特別対談」として掲載されたロングインタビュー「変わるものと、かわらないもの。女装文化への語らい。」。
聞き手は、あしやまひろこさん。
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【目次】
1.女装者と男。女装者と女。
2.女装世界の変遷と媒体。ネット以前の出会い。
3.性同一性障害と女装世界
4.男の存在しない女装世界の登場
5.口コミと草の根の時代への回想
6.女装と容姿
7.「場」の変化。変わらぬ根底。
8.女装とテクノロジー、発達障害
9.女装の力。変化と連続の文化。

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対談「変わるものと、かわらないもの。女装文化への語らい。」
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↑ 「ネオンが似合う女」になれた頃(1997年4月)。
『週刊Spa!』に掲載された写真。

聞き手:あしやまひろこ
語り手:三橋順子
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↑ 対談時(2015年10月17日:下北沢)

1.女装者と男。女装者と女。

あしやま 女装者は男性が好きって誤解されがちなのですが、私もですが、三橋先生も女性がお好きでしたよね。

三橋 かなりの女好きです(断言)。ただね、90年代の六本木や新宿歌舞伎町を女装で歩いていると、男性が寄ってくるんですよ。最初は誘われても断っていたのですが、だんだん面倒になってくるし、自分がヘテロセクシュアル(異性愛)の男性に、女として見られ、誘われ、扱われることで、承認欲求が満たされるということがあって、そのうち場合によってはOKするようになりました。
私は性行為的には男性もOKで、男性とのプレイには性的な快感は十分にありました。請われるままにセックスフレンドとして長く関係をもった人もいましたが、心理的に惚れたことはありません。相手の男性も色恋を求めないさばけた人が多かったので、うまくいってたように思います。

あしやま 僕も共感します。相手ではなく、相手と接触している自分自身を見ているという。自分自身が女としての立場であるために、相手としての男を利用している。

三橋 自分を女にしてくれる道具のように男性を思っていましたね。私を女として扱い、女として気持良くしてくれる男が望ましい。それで、ホテルの部屋に大きな鏡があればなおいい。女として扱われる自分を鏡に映して自分で見たい、そういう欲望は強くありました。そこに相手の男が映る必要はないのです。そこらへん、ゲイの人たちとは感覚がかなり違うと思います。

あしやま その感覚はヘテロセクシャルな女装者にもかなりあると思います。男性相手にそういう感情を抱かなくとも、女として扱われたいと。

三橋 性的な関係が長く続いた相手が何人もいたのは、早い話、相手も気持ち良かったのだと思うのですね。
『性的なことば』(講談社現代新書)に書きましたが、ある経験豊富な男性に「あんたみたいな尻を、金の茶釜というんや。覚えとき」って教えられたことがありました。「金の茶釜」とは、おしりの名器のことです、女性の名器と同じで、相手にしか分からない、自分ではわからないのですけど、「フィット感が抜群だ」とよく言われました。

あしやま そのような体を作るための訓練は必要ではなかったのですか。

三橋 訓練はほとんどしてないです。かなり先天的なものだと思います。筋肉の質というか伸縮性がすごくあって、かつ丈夫。今にしてみると、ある種の才能なのだろうと思いますが、当時は、それほど自覚はなかったです。
で、繰り返しになりますが、本質的には男好きじゃないんですね。女装していても、寄ってくる女性もいます。しかも、けっこう「いい女」が。でも、相手の女性は私に男を求めてくるわけではないし、私も男性として接する気はない。レズビアン・ファンタジーなんですね。
何度もデートした女性とは、お互い好意を抱いていたわけですが、行為にうつれない。互いの手と手をずっと握りあっているだけ。後になって「どうしてあの時、押し倒してくれなかったの?」と言われましたが、それは、私も同じ気持ちで(笑)。レズビアン・ラブの経験がないから、お互いどういう手順を踏んだらいいのか分からなかったのです。

あしやま 女性として振舞っているわけですから、どう振る舞うかは難しいですよね。でも、三橋先生はすごいなとも思うところで、僕がそのようなシチュエーションにあったら男性として振る舞うだろうなと思います。

三橋 そう簡単には切り替われないし、そこで男になっちゃうのはなんか違うと思うのですよ。
歌舞伎町の「ジュネ」というお店でお手伝いホステスしていた頃、まだ「キャバクラ」なんていう言葉ができる前の話です。女性が接客する飲み屋は深夜営業できないわけですが、女装者が接客するお店は、法的には男性なので風営法の適用外で深夜営業ができるんです。
だから、六本木のクラブ・ホステスさんが、自分の店が終わった後に、タクシーに乗って飲みに来てくれます。でも、自分の店や、アフター(閉店後のお客さんとの付き合い)で飲んでるから、かなり酔っぱらっていて、会うなりいきなり「順子さ~ん」と抱きついてくる。危ないからしっかり抱き止めるわけですが、なにしろ六本木の高級クラブのナンバーワンクラスですから、胸も大きいし、腰のクビレもしっかりあって、すごい身体してるわけです。
そんな女性に密着されても、私は勃たない。もったいないなという気持ちと、自分が女というロール(役割)をちゃんとやっているんだという自己満足の両方がありました。

あしやま 自分はそういうシチュエーションはオイシイと思ってしまって。学生時代に他大学を交えた懇親コンパみたいなところで、女の子が可愛いでね、なんて言いながらハグをしてきたりしたときは嬉しかったりして。まあ、途中でそいつは男だからって止めが入るんですけれど。

三橋 女性が女装者を女性として認識しているから距離が近くなるんです。逆に女装者と男性とは対人距離が遠くなる。一般的に、男同士の距離は遠いですが、女性同士の距離は近いですね。

あしやま 女装しているとその基準になりますね。自分の女装を男性は遠巻きに見るんですが、女性はグイグイ寄ってきて。見た目は大きい感じがします。

三橋 女性の身体距離がすごく近いです。心理的には女同士という感覚であっても、もし体が反応してしまうと相手を裏切ることになる。女として近づいておきながら、男を出すというのは、とてもフェアーじゃない気がする。そういう可能性がある自分が嫌というか、恐怖感を抱いていましたね。

あしやま 僕は女性と女装者を描いた、例えば糸杉柾宏さんの作品を読むと、時には「生えている」女の子を求めている場合もあったりしないかなと思うこともあれば、男と前置きはしますが女装で仲良くなって男として……というのも良いのではないかという感覚もあって。好きな漫画に『ゆびさきミルクティー』というものがあるのですが、主人公は女装をしているけれども、色々と女性関係もあり彼女もいるというか、すごい都合がいい話だなとも思いますが。

三橋 私の世代にも、シメシメと思っていた人もいたかもしれませんけれど、私は嫌でした。だから、とても素敵な女性と共寝して、上半身はしっかり抱き合っていても、下半身は離すようにしていました。男相手の時は徹底的に女を演じ、女相手の時は男を出さないというのが、私の原則。
私が妻と良好な関係なのは、相手があまり私に男を求めてきていないからということがあるのかもしれません。女性との関係は精神的には深いわけですが、肉体的なものはほとんどなく、男性との関係は、その逆で、肉体的には深かったけど、精神的にはまったく浅いという感じでした。

あしやま トラニーチェイサーのような、女装が好きな人というのは何を求めてきていたのでしょうかね。

三橋 私は、ホステス倫理としてお店のお客さんとは寝ない主義だったので、一度もしたことはありません。お付き合いした男性は、全部、店の外の人です。だから、トラニーチェイサー的な人との付き合いは多くなくて、中には女装者が好きな男性もいましたが、長くお付き合いした方はそうではなかったですね。
声を掛けてくる男性には、自分が女装者であることを告げるわけですが、「自分はあなたみたいな女装の人は初めてだけど、それでもいいから付き合ってくれ」と言われたときは、うれしかったです。その男性、材木商の若旦那とはいちばん長く続きました。松本侑子さんの小説「女装夢変化」(『性遍歴』収録)のモデルになった出会いです。

あしやま 歌舞伎町は男性向けのキャバクラのようなイメージがありますが、当時は違うものもあったのでしょうか。

三橋 私が、男遊びが面白くてしかたがなかった時期は、九四年から九七年くらいですが、声を掛けられるのは、新宿では歌舞伎町エリアより、新宿駅周辺が多かったです。二丁目はゲイの世界ですから近づきません。六本木は、路上でも、ゲームセンターでも、酒場でもどこでもナンパされるという感じ。不思議なのは渋谷で、声を掛けられたことがほとんどなく、やっぱり性的な雰囲気が薄いのだと思います。
性的快楽に積極的な、濃い人が多かったから、その4年間で色々なことをやり尽くした感じがあって、その後は性的なものに執着しなくなりました。

あしやま 濃い人といえば、両性的なな……「生えてる」女の子こそ最高という人もいますよね。

三橋 『女装と日本人』にも書きましたが、乳房もペニスもどちらもある「娘」が大好き、ペニスのついた女の子を射精させるのが最高という男性もがいますよね。女装者は変態なって言われるけど、そっちの方がよっぽど変態じゃない、って言いたくなるような男性。
でも、そういう人が女装文化を裏から支えてきた部分があるわけで、江戸時代の陰間茶屋から現代のニューハーフや女装の飲み屋まで、そうした女装者大好きの男性が連綿と続いてきたんじゃないかと思います。性にも歌舞伎の女形にキャーキャー言っている人が途絶えることなく続いている。それが、日本文化の特質のひとつなんだと思います。

あしやま 自分自身は、バイセクシャルやパンセクシャルな女性とお付き合いした経験があって、女性同士だと入れるものもないし、みたいな話をされた事があって。

三橋 一種のレズビアン・ファンタジーを持っている女性はけっこういますよ。『女装と日本人』にも書いた通り、日本人の「曖昧な性」への嗜好は、近代化の中で上部構造は男女二元的に変わっても、ベーシックな部分では変わっていないというのが私の感覚ですね。
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↑ 六本木で遊び始めた頃(1994年11月)

2.女装世界の変遷と媒体。ネット以前の出会い。

あしやま 自分自身が今こうして女装しているのは、コスプレを含めてインターネットとの関わりが深いのかなと。

三橋 インターネットの登場は、大きな転換点でした。普及は1997~98年ごろに若い男性から始まり、最後に到達したのが中年女性でした。たとえば着物趣味の女性のコミュニティの成立が2001年ごろです。女装世界は、男性の世界なのでインターネットの普及が早く、97年にはもういくつかのサイトが立ち上がっていました。
その前に90年代前半からパソコン通信が広まって、東京中心の「EON」、大阪中心の「スワンの夢」の東西二大ネットが成立していました。パソコン通信からインターネットへの転換がだいたい98年くらいです。
これは偶然なのですが、性同一性障害の概念が流布しはじめたのもその時期でした。そして、00年代になると、直接的な対人コミュニティで成立していた新宿の女装世界が衰えていき、『くいーん』『ひまわり』『ニューハーフ倶楽部』といった雑誌媒体も次々に廃刊になりました。雑誌媒体の衰退理由は、端的に言えば、インターネット上で無修正のシーメールポルノが簡単に見られるようになったからですね。
『くいーん』は「女装交際誌」を名乗っていたように雑誌が仲介する「文通」がメインだったわけですが、90年代半ばに、パソコン通信や、ポケベル、PHSが普及していくと、時代遅れになって衰退していきました。
私が遊んでいたのは、ちょうどポケベルからPHSの時代で、NTTの伝言ダイヤルの全盛期でした。伝言ダイヤルには「02134649(オニイサンヨロシク)」という女装系のボードがあって、パスワードは「1919(イクイク)」でした(笑)。どこに書いてあるわけでなく、コミュニティ内の口コミで広がっていましたね。
伝言ダイヤルですから、声を録音するわけですが、私は声が絶対の強みだったので、週末にセクシーボイスで伝言を入れておくと、一時間に五~六本というペースで掛かってきます。それを聞いてPHSや公衆電話からかけ直して、この人は大丈夫そうだなと判断すると、待ち合わせ場所と時間を決めて、実際に会うわけです。

あしやま 相手は女装者の場合もあったのですか。

三橋 女装者はほとんどありません。もっぱら相手は男性でした。ゲイ系の人は感性が合わないので避けて、女装者好きで、私を女性として見立ててくれる人とだけ会いました。いきなりホテルへということもありましたけど、いっしょに食事をして軽く飲んで、それから・・・という普通のデートが多かったです。
バブルの余韻が残っていた時代ですから、たとえばサラ金業界の幹部とのデートは、必ず「かに道楽」。すごい量の蟹を食べさせてもらってからラブホテルに行くのですが、セックスの方はからきし弱い方で、こんなに奢ってもらっているのに申し訳ないなぁ、という感じでした。
逆に、東京出張の度に赤坂や西新宿の高級ホテルに呼んでくれる関西の社長さんは、セックスがとても強い人で、まず大東京の夜景眺めながら窓辺で立ちバックで一回、ベッドでもう一回、一眠りして朝日の中でもう一回。相手は「じゃあ、またな」って感じで、そのまま仕事へ。
私が化粧を直して、キーを返しにフロントに行くと、フロントマンから「ご伝言です」と封筒を渡されて、中には1万円札3枚のお小遣いと朝食券なんてこともありました。3000円の朝食って、後にも先にも、その時だけです。まあ、良い時代って言えば、そうでしたね。

3.性同一性障害と女装世界

あしやま 九〇年代末の変化は媒体以外にもありましたか。

三橋 「性同一性障害」(GID)の概念の普及が大きかったですね。それまでは、女になりたいと思う人は、まずは女装やニューハーフの世界に足を踏み入れていたわけです。店が入口だったのです。ところが、メディアがGIDをしきりに報道するようになると、性別に違和感を持っている人は、病院を入口にしてしまうわけですね。そうなると、お店に新人が来なくなってしまう。
00年代前半のGID概念の広がりは、人材を奪われるという意味で女装業界にとって大打撃でした。それと、ほぼ同時にインターネットが普及するわけですが、今にして思うと「ジュネ」をはじめとして新宿のお店はネット対応が遅れていましたね。

あしやま 口コミで構築されていたコミュニティを敢えてネットに出すというのも違うということでしょうか。

三橋 そうですね。「ジュネ」のママは株取引をネットでやっていましたから、ネットができないわけではなかったけど、お店の宣伝をネットでやろうという発想はまったくなかったです。「女装なんて、わざわざ宣伝して広めるもんじゃない」という考え方でした。そんなこともあって、女装系のお店の最大の危機は00年代でした。
ですから06年から07年にかけて『女装と日本人』を書いた頃の私には、女装の世界がもう無くなってしまうという危機感が強くありました。ともかくこの世界のことを書き残しておこうという、ある種の遺言のようなつもりで、かなりの悲壮感をもって執筆しました。
ところが、原稿を出版社に入れた08年頃に、何か様子がおかしいと気づきはじめました。街頭で、見た目は女性同士だけど、片方は女装者らしいカップルを立て続けに目撃したことがきっかけでした。九七年に私が女性と同伴出勤したら、「女装者なのに、女性とデートするなんて変態!」だって言われましたから、10年の間になにかが大きく変わりつつあることに気づいたのです。

あしやま オネエ系タレントがメディアに登場することも増えましたし関係性が変わったのでしょうか。女装者はただの変態ではないという認識が広まったのでしょうか。

三橋 日本テレビの「おネエ★MANS!」は06年秋からです。関係性が変わってきた理由について思うのは、97年ごろに「性同一性障害」の概念が登場してから10年の間に、性別越境の病理化がどんどん浸透していき、病気としての性別移行という形態に、息苦しさを感じるようになった人が増えてきたのだと思います。

4.男の存在しない女装世界の登場

三橋 『女装と日本人』執筆以降の変化についてまとめた「変容する女装文化」という論文を2009年に『『コスプレする社会 -サブカルチャーの身体文化-』(せりか書房)という論集に発表しました。
そこでのポイントは関係性の変化です。それまで、女装することと男性と性的関係をもつことは表裏一体でした。私は男から店で声を掛けられても断る第一世代だったので、ずいぶんで「生意気だ」と言われましたけれど、そうした男性との関係性から女性との関係性に移行してきたことに注目したわけです。

あしやま 男と寝ることと表裏一体であった女装文化が、ここ最近変化してきたということですよね。

三橋 昔(90年代半ば頃)の女装者は男性からの誘いはまず拒否しなかったです。どれだけたくさんの男と寝たかが女装者の勲章という雰囲気がありましたからね。

あしやま 当時も居たと思うのですが、男と関係を持ちたくないという女装者はどのようにしていたのでしょうか。

三橋 そうした人たちが、最初に集団を成したのが「エリザベス会館」です。「エリザベス」ができたのが78年ですが、かなり初期の段階(1980年代初頭)で男性とのセクシャリティを切りました。
60~70年代が全盛だった女装秘密結社「富貴クラブ」では、男性が圧倒的な力を持っていたのとは対照的ですね、新宿で男を相手にしてきた女装者の中には、年をとってモテなくなって、「エリザベス」に「隠居」する人もいました。
若いころモテた中高年女装者には二パターンがあり、モテなくなった段階でいっさい男性との性的関係を断ち切って、例えば「エリザベス」へ隠居しちゃうようなプライドの高い人。もう一方は60、70歳になっても、なんとか男を捕まえようとあがく人。どちらも大先輩で、その姿を間近でみていました。
後者の方は、着物女装なんですけど、店に来る若い男性客の隣に座ると、男の手をとって(女性着物の脇の下に開いている)身八つ口に引き込んで、乳房に触らせるんです。でも、若い男性にしてみたら、老女のおっぱいなんて触りたくないわけで、トイレに行くふりをして、チーママや私のところに「席、変えてくれ」って苦情を言ってくる。業が深いというか、もう完全に悪あがきですよ。いろいろお世話になった先輩ですけど、正直「自分は、絶対にああはなりたくない」と思いましたね。
加齢は、女装者だれでも避けられないことですから、やはり歳をとったときの身の処し方は、店に迷惑をかけないように、ちゃんと考えるべきです。

あしやま 今の女装者は、必ずしも男性との関係性を前提としていなかったり、異性愛者も多いように感じますから、この場の文化は今にも影響を与えているようにも思います。

三橋 「プロパガンダ」は、もっと男性中心なのかなと思いながら行ったら、おじさんたちは隅で小さくなっていて全然勢いがない。元気よく女装者に声を掛けているのは女の子ばかりで、つくづく時代も変わったんだなと思いました。

あしやま 女の子も女装者に近づきたい欲が開放されたんでしょうかね。

5.口コミと草の根の時代への回想

あしやま 八〇年代ごろからそのように文化にも幅が出てきたわけですね。しかし、今の若い女装者はエリザベスに行くわけでもないですし、先ほどのお話にあったように媒体の変遷もありました。今は、よりポップな、もっとファッション感覚の女装が生まれたのかなと思うところがありまして。 

三橋 おそらく同人誌の活動やコスプレ文化が影響して、新しい女装文化が誕生したのだと思います。「性同一性障害」的なものに嫌気のさした若い世代と、コスプレ系の感覚がマッチしたのではないでしょうか。
90年代にも、コスプレ系の女装者も居なくはなかったのすよ。コスプレ系女装は、新宿でも「エリザベス」でもなく、やはりキャンディ・ミルキィさん(現在キャンディ・H・ミルキィと改名)の雑誌『ひまわり』に集まっていましたね。キャンディさん自身がああだから、コスプレ系女装の人にとっては、とても居心地の良い場所だったと思います。

あしやま 僕よりも一世代上のコスプレ女装関係の人は、みなさん必ずキャンディさんのお名前を出されますよね。

三橋 「向日葵学園女子高等学校」という誌上企画があって、制服女装も『ひまわり』が中心でした。
『ひまわり』の創刊は87年で最初はキャンディさんの個人誌です。キャンディさんがメディアに登場して有名になるにつれて徐々に雑誌としての体裁が整って、93年に季刊になり、98年には隔月になり…。90年代半ばが、一番活気があったと思います。
ただし、当時もコスプレ女装に一定の需要はあったと思いますが、コミケも大規模でなく、そこで『ひまわり』を頒布ということもなかったわけで、キャンディさん自身があの格好でバイクで配達していたわけで、最後まで個人発行の同人誌という色彩が濃厚でした。
そういう意味では、現代のコスプレ女装に通じる淵源ではあると思いますが、やはり、相当の世代差があると思います。文化的に論じる場合、現代のコスプレ女装の隆盛とは、ある程度、切り分けた方がいいかもしれません。
現代のコスプレ女装には、いろいろな系統があると思います。コスプレから入る人、性同一性障害的なところから入ってくる人。そして、女装ができる場が昔よりずっと多様になっている。それは、とても良いことだと思います。
話がずれましたが、女装するという行為が男性との関係性から抜け出して、むしろ女性との関係性の比重が増していく、その転換の意味はすごく大きいと思います。

あしやま それが00年代の転換というわけですね。

三橋 女装者好きの女性は、いつ、どこから出現してきたのか、いわゆる腐女子的な世界からなのか、それとも違うのか、まだリサーチしていないのでわかりませんが、もともとそうした嗜好をもった女性は一定数いて、それが表に出やすくなったのだと思います。
やはり「場」の問題で、「プロパガンダ」みたいにそこに行けば女装者に会えるという場所があること、その情報に容易にアクセスできるようになったことが、何より大きいと思います。私たちの時代にはそれがまったくと言っていいほどなかった。稀にお店にくる女性は水商売や風俗産業の方がほとんどでした。
「場」の設定、そこへのアクセスという点で、90年代と00年代とでは根本的に違っていると思うのです。

あしやま 古代から日本人の中にあった根源的欲求のようなものが、アクセスできる手段と場所が設定されたことで、表出したという。

三橋 そうですね。『女装と日本人』に書いたように、日本人は男女を問わず、基本的に女装者が好きなのですよ。ただ、現実にはそこになかなかたどり着けなかった。新宿のゴールデン街に女装の店があるという話が、週刊誌やスポーツ新聞の隅っこに小さく載っている。情報っていってもその程度なんですね。
私の友人は、そういう記事を見て、ポケットに札束を入れて、ゴールデン街の店を一軒一軒、片端から飲み歩いて、10万円くらい飲んだところで、やっと店主から「ジュネ」の場所を教えてもらい、「ジュネ」にたどり着きました。おそらく他の店でも知っていたのでしょうが、教えてくれなかったのでしょうね。執念に加えて偶然、それに相当な根性とお金がないと、たどり着けない世界だったのです、女装の世界は。

6.女装と容姿

三橋 そうやって、やっと新宿女装世界にたどり着いても、ママから「あなたは(女装に)向いていないから止めなさい」なんて言われることもあります。傍から見ていてもむごい話だと思いますが、きれいになる素質に恵まれていない人が女装しても、辛いだけの世界なんですよね。
「エリザベス会館」は純粋アマチュアの世界なので、どんな容姿レベルでも「来るな」とは言いません。だから、10年通って、たくさんのお金を使っても、毎年開催される女装コンテストで、一度もノミネートされない人もいるわけです。逆に、入ってきてすぐに新人賞、翌年には準グランプリを獲って、店の「看板娘」に駆け上がっていく人もいます。私ですが(笑)。残酷と言えば残酷な世界なのですけど、それでも自分が我慢しさえすれば、そこにいられるわけです。
新宿の女装世界は酒場を拠点にした客商売ですからもっと露骨で、スタッフならお客が呼べる容姿かどうかがシビアに問われます。スタッフでない女装会員でも、とりあえずソファーに座って「枯れ木も山の賑わい」になるレベルならOKだけど、シビアな男性客に「お前、もっとどうにかしたらどうだ」なんて言われたら、ほんとうにどうしようもなくなってしまうわけですね。つまり、容姿的な適性で淘汰が起きるわけです。
一方、「性同一性障害」の場合は、お医者さんは「あなたはきれいにならないから、女になるのは止めなさい」とは絶対に言わない、言えないですから、診察・治療段階では容姿適性による淘汰は起きません。

あしやま コスプレの世界でも同じで、男女問わず見た目で判断されますよね。そして悪あがきではないのですが、パソコン上で写真を補正してなんとか、という人も多いわけです。実際会うと、誰?となる人も多くて。

三橋 コスプレ趣味であっても、美形とそうでない人とでは、周りに集まるカメラの数は明らかに違うでしょうし、更にいろいろ言われるわけでしょう。いくら写真で補正していても、いざ実際に会うと「写真とぜんぜん違う」という問題も出てきてしまうわけですよね。

あしやま 似合うかの問題はどうしようもなくて……。

三橋 「そんな醜い女装者は見たくない、勘弁してくれ」と思う権利も一般人にはあるわけです。そして、中にはそれを口に出しちゃう人もいる。少なくともなんでもアリかといえばそうではなく、容姿が問われてしまうわけです。
けれども、「性同一性障害」というレッテルを貼ると、医療福祉の問題になりますから、容姿をあれこれ言うことはできなくなる。「病気じゃあ、仕方がないだろう」ということです。そういう意味で「性同一性障害」という概念は「救い」であったわけです。
でも、そういう「性同一性障害」というレッテルを貼った「かわいそうな病気の人たち」が10年近くメディアに出ていたところに、病気ではないカワイイ女装者が「男の娘」というレッテルで出てくれば、メディアも一般の人の視線も一斉にそちらに行ってしまうのは仕方がないと思います。
「医療福祉」より「カワイイ」が受けるのが現実です。それを容姿主義、ルッキズム(lookism)だとの批判する人もいますけど、人間社会はおそらく有史以来ずっとルッキズムなんですね。良い悪いはともかく、現実にルッキズムがなくなるとは近未来的には思えません。
女装の世界は昔から完全にルッキズムで、ブサイクが生意気なこと言うと内容にかかわらずボコボコに批判される。美人は生意気を言っても許される。酷い世界と言えば酷い世界です。
「エリザベス会館」も新宿の女装世界も、見た目、容姿によって扱いが全然違うんですね。「人権」とか「平等」とかいう話とはまったく別の価値基準です。でもそういう「場」しかなかったんです。
そういう世界に身を置いて認められる、そしてその世界でのし上がるには、容姿を磨くしかないんです。ですから、女装と「性同一性障害」はまったく別の論理で成り立っているわけで、一緒にするのはもちろん、同列に論じるのも意味がありません。
女装の世界はルッキズムによる実力世界ですから、どれだけの人が淘汰されていったか、それこそ振り返れば死屍累々です。「性同一性障害」は医療福祉の世界ですから、淘汰が機能しちゃあいけないのです。少なくとも建前上は「かわいそうな病気の人たち」は皆、救われなければならない。
でも、この世界の現実は違う。だから「性同一性障害」の人たちもたいへんなのです。
今日は、ある自治体の主催の講座で「服装は自由である」というテーマで講演してきたのですが、それは論理的な話であって、現実は厳しいです。

あしやま 似つかわしいかどうかは大きな問題だと思っていまして、例えば僕が男姿でスカートを履いたら気持ちが悪いと思うんです。それはどうしようもないといいますか。

三橋 「気持ち悪い」と思う人に、「その感情を止めろ」と言うのは難しいし、実際にできませんよね。現実には、こちらが気持ち悪いと思われないようになるしかないのです。
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↑ 新宿歌舞伎町区役所通り「ジュネ」にて(1999年11月)

7.「場」の変化。変わらぬ根底。

三橋 飲み屋を拠点に成り立っている新宿の女装世界は、店自体が女装者と女装者を好む男性(女装者愛好男性)の出会いの場という要素があるわけですが、新宿の店育ちが一番で、次がエリザベス会館、一番下が上野などのハッテン映画館育ちという序列感覚がはっきりありました。
パソコン通信からネット掲示板時代の大スターで、一時期、フェミニズム系の活動の方にも評価されて、しきりに講演活動をされていた宮崎留美子先生という方がいらっしゃいます。ハッテン場育ちでも、上手に愛嬌を振り撒いて新宿で受け入れられる人もいるわけですけど、宮崎先生はそういうタイプじゃなく、弁が立つ分、反発も強かったわけです。
「最近、留美子って生意気な奴がいるようだけど、どこの出なの?」、「どこかのハッテン映画館の出らしいですよ」、「新宿の作法を教えてやるから、夜中の2時に花園神社の裏に呼び出しな」なんて話になったことがありました。留美子先生は終電車で帰るから、そんな時間にはもう新宿にいないのですけどね。
そんなエピソードが語るように新宿の女装世界は、よく言えば体育会系なんです。各店に古手の姐さんがいて、その世界に入るには、ママはもちろん、そうした姐さんたちにも挨拶しないといけない、悪く言えば、任侠世界的なノリがありました。
私は「エリザベス会館」から新宿に流れてきた新参者だったわけですが、新宿女装世界のドン(元締め)だった「ジュネ」の薫ママに仁義を切って、「ジュネ」のナンバーワン(若頭)の麻衣子姐さんと五分の杯を交わした客分ということになると、もう誰も文句を言えないんですね。
逆に留美子先生みたいなフリーの女装者が遊ぶのはけっこう難しい。意地悪そうな姐さんに「あんた、見ない顔ね、どこの娘?」みたいなことを言われて、いじめられかねない。でもそこで、ちゃんと挨拶して「あなた見込みがあるわね」という話になると、「ウチにいらっしゃいよ」ということで、店の支度部屋(着替えや化粧をしたり、仮眠したりする部屋)に所属することになる。そうなると「○○(店名)の〇〇子です」って名乗れて、女装コミュニティの他の店に飲みに行っても「あの子は〇〇の娘だから」ということで、飲み代が千円割引になるわけです。

あしやま お客さんがお店の更衣室で着替えるんですね。

三橋 店の中に更衣室があるところもありましたけど、「ジュネ」は店から十分程のマンションの一室が支度部屋でした。そこで着替える人が圧倒的に多くて、私みたいに家から女装して電車に乗って新宿に来る人は少なかったですね。
「ジュネ」の場合、そこで着替えたら一度は店に顔を出すのがルールで、その後はどこで遊んでも構いません。当時、月会費は1万5000円だったと思います。会員さんは店が忙しい時には接客を手伝ったりもしますが、「ジュネ」で飲んでる限り、いくら飲んでも飲み代はタダでした。フリーの女装者の料金は4000円なので、毎週末、店に来るなら会員になった方が安かったんです。

あしやま そういう世界に一度行ってみたいなと思います。

三橋 もうそういう世界はなくなっちゃったかな。もともと支度部屋は店に付属していたものだったのですが、ある時、大きなロッカールームを構えて、そちらをメインにして固定費を稼ぎ、店は遊び場という業態が現れました。それが「グッピー」&「アクトレス」で、「グッピー」が支度部屋機能、「アクトレス」がスナックでした。90年代末の最盛期には100人くらい会員がいましたね。
「ジュネ」のような、女装者と女装者が好きな男性が酒場で出会って仲良くなるという機能をもつ店は、67年に新宿の「花園五番街」に開店した「ふき」(後に「梢(こずえ)」に改称)が最初でした。「ジュネ」の閉店が03年ですから、一つのシステムが35年間機能したということです。35年続いたら立派なもので、GIDの影響もありましたが、店、さらにシステム自体の寿命もあったと思います。
女装文化のひとつの形態が終わったということですが、その後に残ったのが性別越境を病理化したGIDだけというのは、文化的にあまりにも貧しい。GIDは「医療福祉」であって「文化」じゃないですから。00年代前半には、もう日本の女装文化は終わりかなと思いましたが、00年代後半から新しい形お店が出てきました。
新宿では浜野さつきさんが「花園三番街」で「JAN JUNE」というお店をやっているし、湯島天神下(上野広小路)には井上魅夜さんが「化粧男子」(現在は閉店)を開店したり。魅夜ちゃんの店は、江戸時代に湯島天神界隈に栄えた陰間茶屋へのあこがれが詰まっていますね。

あしやま 井上さんは内心が女性の方を採るって言っていましたね。そういう方が生きられる場所を提供したいって。

三橋 魅夜ちゃんの店の子は、みんなすぐに女になっちゃうから長続きしないらしいです。「プロパガンダ」を始めたモカさんも女になりましたけど、今、30代くらいの人たちが、みなさんそれぞれ違う形でやりたいことをやっていて、それで女装文化がつながっていくと思っています。まったく同じ形態でやっても意味がないわけで、新宿の女装世界のシステムは35年も続いたわけですから、新しい形態にリニューアルしていくのは当然のことですよね。
女装者と女装者が好きな男性が酒場で出会って仲良くなるという、60年代に画期的で90年代まで機能したシステムが、新しい世紀になってその役目を終わったということです。でも、完全になくなったわけではなくて、お酒を飲みながら、女装者と重くない話をしたいみたい人には「JANE JUNE」に行けばいいわけです。

あしやま 今度行ってみたいと思います。

三橋 あなたは男姿で行ってもバレますよ。カウンターに座るなり、ママに「あなた女装するでしょう」って言われますよ。行きにくかったら初めは男姿で行って「今度は女装してきます」って言えば喜ばれます。

あしやま フレンドリーなのですね。より行ってみたい気持ちになりました。 

三橋 『ユリイカ』の「男の娘」特集(2015年9月号)に載せた「トランスジェンダー文化の原理 ー双性のシャーマンの末裔たちへー」にも書いたのですが、性別越境への親和性は、ずっと日本人の感性や文化に組み込まれていて不変だろうと思います。ただ、それが表出する形態や商業システムは変わっていく。でも、トランスジェンダー的なものへの親和性という基本は変わらない。
欧米にはトランスジェンダー的なものと相いれない宗教的規範があるけれども、日本にはそうした宗教規範がない。それどころか、むしろ性別越境的存在にある種の神性を見、その魅力を賛美してきた歴史がある。そうした感覚は、現代にも生きています。人々が美輪明宏さんに感じるオーラなどがその典型です。
世代や時代によって形は変わるけれど、根本にある伝統、性別越境の文化への親和性は変わらない。

あしやま 三橋先生の目から見ても、00年代以降の、一見すると新しくみえる女装者たちも、根っこの部分では全く変わらないということですね。

三橋 「女をする」という根っこは同じですよ。社会環境やインターネットの普及のように媒体は大きく変化しているだけで、それはメディア論的に捉えるならば大変化かもしれませんが、文化として捉えるならば本質ではなく手段・手法の問題ですね。
そこらへんのことは「(講演録)『男の娘(おとこのこ)』なるもの―その今と昔・性別認識を考える―」(駒沢女子大学・日本文化研究所『日本文化研究』10号 2013年 http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2015-08-08)で語ってます。

8.女装とテクノロジー、発達障害

あしやま テクノロジーといえば、一つ気になることがありまして。女装者はパソコンもそうですが、電車や機械などが好きな人が多く感じます。

三橋 女装の世界は、パソコン通信でも、インターネットでも、時代時代で最先端のものをすぐに取り込んできました。女装系のパソコン通信は90年に東西ほぼ同時に始まり、95年頃には全盛期を迎えました。隣村であるゲイ世界と比べるとテクノロジーの取り入れが圧倒的に早かったです。
実際、パソコン関連の仕事をしている女装者は多かったです。その理由については、パソコン業界が急速に拡大しソフトウェア需要が一気に高まった勃興期には、技術者が不足したため、容姿に関係なく、能力で採用したからという説があります。それは部分的には正解かもしれません。
でも、どうもそれだけではないような気がします。女装者には、鉄道オタクや軍事(ミリタリ)オタクがけっこう多い。それにバイクオタクも。なぜなのだろうと、ずっと疑問に思っていましたが、最近になって有力な仮説が浮上してきました。それは発達障害との関連。

あしやま あはは(笑)。それは、くとの先生も言っていて。女装者と発達障害は相関しているんじゃないかって。

三橋 オタク世界の住人と発達障害とはけっこう重なるわけですが、それと同じなのではないかということです。根っこに発達障害があって、なにか特定の分野に著しく入れ込む傾向がある。それが、鉄道だったり、ミリタリだったり、バイクだったり、そして女装だったり……。一見、遠いように思えるけど、根っこは同じ。だから、それらがしばしば重なって現れるという仮説です。
実は、性同一性障害と発達障害との関連、性同一性障害の人で性別の移行が難しいケースでは発達障害との重複が疑われるということは、臨床系の精神科医はかなり早い時期から気づいていたようです、ただ、性同一性障害の当事者が嫌がるので、公の場でなかなか言いにくかった。
ところが、2014年6月に横浜で開催された日本精神神経学会シンポジウムで、岡山大学の松本洋輔先生(精神科)が「広汎性発達障害と gender dysphoria の合併をめぐる臨床的問題」という題で発達障害と性別違和が合併した症例を報告しました。おそらく、これが公の場で発達障害と性別違和の重なりを指摘した初めての報告だと思います。私もパネラーとしてその場にいたのですが、堰を切ったように、臨床系の精神科の先生が賛同して、一年も経たずに性同一性障害と発達障害とはかなり重なるという認識が一気に広がりました。

あしやま 女装の世界にもいずれ普及してきそうですね。

三橋 以前、日本近代思想史研究の大家で鉄道趣味の原武史先生が、鉄道趣味はなぜ男性に偏っているのかという問題提起をしていた時に、「先生、実は、鉄道趣味は女装者や性同一性障害の人にも多いんですよ」という話をしました。
原先生、最初は信じてくれなかったのですが、お調べになると『ひまわり』の「向日葵学園女子高等学校」に鉄道サークルがあって、車両や駅で撮った女装写真がたくさん並んでいる。それで、現象としては納得されて、二人で何故なのかを議論したのですけど、当時は納得できる結論に至らなかった。
でも、発達障害と性同一性障害との重複が見えてくると、鉄道趣味と女装もしくは性同一性障害の重なりも単なる趣味の問題、文化的な傾向ではなく、より根源的なもの、つまり共通の根源としての発達障害ということで、解釈ができると思います。私もそうですけど、あしやまさんも鉄道も女装も好きという話で、他人事じゃあないですよね。

あしやま そうですね。僕は生活に支障も無いですし、病気ではないのですが、大学の保健管理センターで受けた正確な心理検査の結果は、分野間での開きが相当ありましたね。

三橋 まあ、私もあしやまさんもその傾向はあると思います。この相関は完全に立証されているわけではないのですが、おそらくそうでしょう。有名な女装者で、とても注意力散漫な方がいたり、ともかく思い当たるところが多いのです。発達障害の傾向がある人が一つの事に集中するという意味では、学者、研究者向きかもしれませんね。

9.女装の力。変化と連続の文化。

三橋 学者といえば、先日のニコニコ学会βでお会いした、くとの先生もお元気そうですし、小林秀章さん(セーラー服おじさん)も国際的に大活躍ですごいですよね。

あしやま セーラー服おじさんのすごいところは、ヨーロッパでもアジアでも通じるところですよね。

三橋 ニコニコ学会βでも語ったことですが、異形のダブル・ジェンダーが最強である、という理論は世界共通なのかなと思います。お人形みたいに綺麗じゃなく、あの風体だからこそ許されているのかなと思いますね。

あしやま 工学で言う不気味の谷のような話で、谷に落ちるまえのピークじゃないかなと思うんですね。

三橋 『女装と日本人』の段階で双性(ダブル・ジェンダー)の人は神に近くなるという「双性原理」の話を書きました。その後、神は本来異形であるという仮説を立てました。日本には異形の神がたくさんいるわけです。それを合わせると、ダブル・ジェンダーでかつ異形の人が、いちばん神性が強いということになります。
今や「セーラー服おじさんに出会ってツーショットを撮ると幸せになれる」という都市伝説が流れているわけで、セーラー服おじさんは「幸せを運ぶ都市神」的存在になっています。「双性&異形=最強」という私の理論は、セーラー服おじさんによって証明されたことになります。

あしやま でも、それは妖怪みたいな女装やコスプレとは違うという。

三橋 妖怪は零落した神なので、最初から零落していては駄目なんですね。セーラー服おじさんには、何だかよく分からないけどパワーがある。あのパワーがセーラー服おじさんを双性&異形の都市神として成立させているわけで、それをもう少し考えてみたいと思ってます。

あしやま パワーといえば、女装一般においても見た目と同じで、それ以上のプラスアルファの価値が必要ではないかというのは、過去の本誌でも度々話題になりました。

三橋 若い女性と同じで、よほど超越した美しさを持っている人以外は、外見だけでは持たない。他の魅力が必要ですね。女装でも、お人形さんみたいな女装ではすぐに飽きられる。当たり前のことですけど、容姿的な美しさに加えてタレント、つまり才能や魅力が必要です。
たとえば、はるな愛さんは、とてもクレバーな頭の回転の早い方で、実業家としても成功されているわけで、そういう人でないと長続きはしないのです。プロはもちろん、アマチュア女装やコスプレイヤーでも同じではないかと思います。

あしやま 川本直は前回の本誌で、一度女装界は落ちるところまで落ちたものもあったから上に伸びるのではなんて仰っていましたが。

三橋 どんな世界にも、上があれば下もある。しょうもない人はたくさんいます。しょうもない、というのは容姿に限らず、人格的なものも含めての話ですが。逆に、綺麗な人は昔からいるわけです。「富貴クラブ」のトップクラスはさすがに綺麗ですよ。ただ、そういうレベルの人は数人しかいない。現代はそのレベルが沢山いるという違いですね。

あしやま タレントの話で言えば、普通の人、のような人は少ないようにも感じます。たまに、女装者は知的水準が高いなんて言う人がいますが、おそらく上澄みしか見ていなくて、平均すると普通になるのではと思います。これも今も昔も何も変わっていないと思います。大きく変わっているところもあるけれど、変わっていないと言えば全く変わっていない。

三橋 時代(世代)とともに変わった部分はあるけど、変わらない部分もある。端的に言えば、どの時代にも女装したい人がいて、そうした女装者を愛でる人がいる。そうした人たちが作ってきた女装文化は、日本においては前近代以来脈々と連なる伝統がある。女装(異性装)への強い親和性が日本文化の伝統の一部になっている。現代のコスプレ要素の強い女装も、そこから外れるものではないと思います。
変わらない部分も大事だし、変わっていく部分も大切。つまりは、松尾芭蕉が言った「不易と流行」だと思うのです。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」「その本は一つなり」、つまり、不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない。両者の根本は一つである、ということです。
それが、「エリザベス会館」、新宿女装コミュニティ、そしてGIDの三つの世界を渡り歩いて、いろいろ見聞きし、今は若い女装の人たちの活動を観察している私の結論ですね。

あしやま 今の女装の世界は、昔から脈々と続いてきているけれど、多様な文化が花開いていると。今日はとても貴重なお話が聞けました、ありがとうございました。

三橋 こんな老人の昔話みたいなインタビューを載せて、コミケで売るわけでしょう。やっぱり続いているし、変化している。面白いですね。

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↑ 対談風景(あしやまさんは風邪を引いていたため「B面」)
2015年10月17日 下北沢にて

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