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【エッセー】「日本人は女装好き?」(講談社『本』2008年10月号) [論文・講演アーカイブ]

2008年9月に『女装と日本人』を講談社現代新書の1冊として刊行した際に、講談社の広報誌『本』2008年10月号に執筆したエッセーです。
『女装と日本人』で割愛した深川芸者と女装バレエ団を事例に、日本人の性別越境(女装・男装)への嗜好ついて書きました。

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日本人は女装好き?
             三橋 順子

夏の終わりの夕べ、柳橋の舟宿から屋形舟をしたて、大川を下って、夜景が美しいお台場沖に泊まり、江戸前の天麩羅を食べながら、去り行く夏を送ってきました。

江戸時代の半ば過ぎた頃、大川の舟遊びといえば、芸者が付きものでした。川面を渡る三味線の音や、常磐津などの唄声は、さぞ風情があったことでしょう。私たちが舟を出した柳橋は、天保の取締り(一八四二)以降に隆盛を迎えた江戸においては新興の花街でしたが、それ以前に、大川の舟遊びの相手をもっぱら務めたのは深川の芸者たちでした。

深川の芸者の出で立ちの特色は、薄化粧で、鼠色など地味な長着に羽織を着ていることで、故に羽織芸者と呼ばれました。羽織は、現代の和装では、男女ともに用いますが、本来は男性のみが着用する衣料です。また深川芸者は、蔦吉とか、桃太郎とかいうような男名前(権兵衛名)を名乗り、しゃべり方も男っぽく威勢よく、気立ても「意気」と「張り」を看板にしていました。

今でこそ、芸者といえば古風な「女らしさ」の体現者としてイメージされますが、深川芸者は、男装、男名前、男言葉、気風(きっぷ)のよさというような男粧(おとこなり)、男振を売りにしていのです。現代に置き換えるならば、男物のスーツ姿で、大輔とか、拓也とか名乗って、「俺、○○なんすよ」みたいなしゃべり方をする女性だったことになります。現代の男性が、そうした女性にお金を払って、いっしょに遊ぼうとするでしょうか? とてもそうは思えません。しかし、江戸時代の男性は、そうした男っぽい女性を、好んで遊興の供としたのです。しかも金子を与えて。

話をまったく変えます。今年も「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」(アメリカ 一九七四年結成)の日本公演の広告が新聞に大きく出ていました。同バレエ団は、筋骨たくましい男性舞踊手が白いチュチュを着て「白鳥の湖」などを踊る男性だけで構成された女装バレエ団です。二〇〇八年には、六月六日から八月三日まで、東京新宿を中心に、北は秋田、南は鹿児島まで全国三〇都市を巡り三七回の公演が行われ、どこでも盛況だったようです。一九八二年の初来日以来、二四回目の来日公演ですから、ほとんど毎年のように来ていることになります。これほどの頻度で来日する海外のバレエ団が他にあるでしょうか? 頻繁に来日するということは、それだけ興行として成功しているということです。どうも、日本では、女性がプリマをつとめる海外の有名バレエ団の来日公演よりも、女装バレエ団の方が、はるかに興行成績が良いらしいのです。

後発の女装バレエ団「グランディーバ・バレエ団」(アメリカ 一九九六年結成)の場合、平均集客率は八割を超え、観客の九五%は女性というデータがあります。同バレエ団は日本公演をメインに活動していることからも明らかなように、女装バレエ団にとって日本は、とてもおいしい、最重要の市場であることは間違いありません。

男振を売りにした江戸時代の深川芸者と、女っぽさを売りにする現代の女装男性バレエ団と、どうつながるのか不思議に思う方も多いでしょうが、私は、そこに日本人の性別越境者、そうした人が担い手となる芸能への嗜好が見えるように思うのです。もう少し解りやすく言えば、日本人は、女装した男性や、男装した女性を好む文化を持っているということです。

そう書くと「いや、俺は、女装の男も、男装の女も大嫌いだ。とりわけ、女装した男なんて虫唾が走る」という人が出てくると思います。まあ、それは個人の好みの問題ですから結構です。

しかし、女装の演技者である女形が重要な役割をはたす歌舞伎は、日本を代表する伝統芸能です。歌舞伎とは逆に、男装の演技者(男役)がトップスターである宝塚歌劇も多くの熱狂的なファンを持っています。また、歌舞伎よりも古い起源をもつ古典芸能である能は、憑霊という仕組みと仮面という装置によって男性演技者がしばしば女性を演じます。

性別越境芸能の人気は、歌舞伎や宝塚のようなメジャーな演劇世界だけではありません。梅沢富美男や松井誠、最近では若手の早乙女太一の名が知られるように、大衆演劇の世界では、女形(をできる役者)が絶対的にスターで、女から男、男から女という性別越境は、最大の「ウケる」要素なのです。

このように見てくると、日本の演劇世界では、男から女(女装)、女から男(男装)のような異性装という要素が大きな役割を果たし、根強い人気を保っていることがわかります。観衆が性別越境(トランスジェンダー Transgender)的なものを好むという現象は、どうも過去から現代まで続く歴史的な伝統のようです。

演劇だけではありません。現代でも、女装した男性が一定の役割を果たす祭礼は日本各地に残っています。たとえば、東京江戸川区東葛西の雷不動真蔵院で毎年二月に行われる「雷の大般若」と呼ばれる行事では、お白粉に真っ赤な口紅、青のアイライン、頬紅という化粧をして女装した青年たちが大般若経の入った箱を担ぎ、家々の玄関口で悪魔払いをして無病息災を願います。ちなみに、お化粧は、地元の美容院に依頼するそうです。

また、一九六〇年代くらいまでは、花見や盆踊りの際に、一般の人々が女装・男装する習俗はあちこちで見られました。現在でも、大学や高校の学園祭でしばしば見られる女装コンテストなどは、そうした祝祭空間での女装習俗の名残でしょう。

日本人は、女装・男装を観るだけでなく、自らも楽しんでいたのです。こうなると、女装・男装への嗜好は、日本文化の基層に根差すものなのではないかと、私には思えるのです。
それでも中にはこう主張する人がいるかもしれません。「いや、男が女を演じるなんてどう考えたって不自然だ。そんな変態的な演劇は認められない」と。あるいは「女装する男なんて奴は、世の中の性別秩序を破壊する社会悪だ。そんな奴はとっ捕まえて、刑務所か精神病院へ叩き込め」と。

さすがに現代の日本では、そこまで言う人は稀でしょう(でも少数ですが確実にいます)。ですが、一昔前までは、けっして珍しい意見ではありませんでした。たとえば、評論家で近代演劇普及の旗手だった島村抱月は、一九一一年(明治四四)に「日本の旧歌舞伎といふ如きは変態芸術」と断じています。

こうした性別越境的なものを変態視して徹底的に忌避する考え方と、先に述べた女装・男装の演劇者に拍手する日本人の性別越境芸能への嗜好とは、どのような関係にあるのでしょうか?

結論だけを述べますと、性別越境的なものを「変態」として否定する考え方は、キリスト教文化に由来する西欧近代の産物で、明治時代以降に日本に移入されたものなのです。

結果として、現代の日本社会は、性別越境的なものを好む江戸時代以前からの基層文化の上に、そうしたものを変態視して忌避する西欧近代の思想が重なるという二重構造になっているように思います。それは、明治以降の日本の社会がずっと持ち続け悩んできた矛盾の投影なのです。

たかが、女装・男装の話が、ずいぶん大袈裟にことになってしまいましたが、このたび上梓した『女装と日本人』(講談社現代新書)ではそんなことをいろいろ考えてみました。

ところで、あなたは、女装した男性をどう思いますか?石をぶつけますか?「まあ、それもありかな」と思いますか? それとも好きですか? 後の二つの部類の方には、十分に楽しんでいただける内容だと思います。
(みつはし じゅんこ 国際日本文化研究センター共同研究員 性社会・文化史)


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