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新宿グランドツアー【14】「二幸」(アルタ)裏 -再び新宿駅東口へ- [新宿グランドツアー]

【14】「二幸」(アルタ)裏 -再び新宿駅東口へ-

旧コマ劇前から伸びる歌舞伎町「セントラルロード」ではなく、ひとつ東の「さくら通り」のところで靖国通りを渡ると、ビルの間の狭い道に入ります。これが「駅前正面通り」、通称「指差し横丁」で、新宿駅から大久保方面に向かう古い道筋でした。「指差し横丁」の名は、その昔、指形が彫られた石の道標があったことから名付けられました。

「指差し横丁」のもう1本西側の道(「アルタ」の裏に突き当たる道)の途中にあったコの字型の路地(今はありません)の奥に、新宿におけるゲイバーの元祖「夜曲」がありました。昭和37年(1962)9月6日、「夜曲」のマスターの佐藤静夫氏が絞殺され、多額の預金(50万円)が奪われるという事件が起こります。同性愛がらみの強盗殺人事件ということで新聞に大きく報じられ、皮肉にもゲイバーの顕在化に寄与することになりました。ちなみに、犯人は元ボーイでした。

かって、フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」の生放送が収録されていたスタジオがあることで知られる「アルタ」は、当時は三越系の食品店「二幸」でした。さらにその前は、「三越」デパートそのもので、「三越」の新宿進出の最初の店舗がここだったのです(昭和5年、追分に移転)。
14スタジオ・アルタ(2).jpg

「アルタ」の前で新宿通り(青梅街道)を渡れば、そこはもう4時間前に出発した新宿駅東口広場です。

ところで、「青梅街道」(新宿通り)、現在は「アルタ」の先でJRの線路に沿うように北にカーブし靖国通りに出て、そこで左に折れて「大ガード」でJR線を潜っていますが、これはどう考えても不自然な形です。実は、本来の街道は新宿駅のすぐ北側にあった踏切で線路と交差していました。ところが、交通量の増加に伴い踏切の渋滞が激しくなったため、現在のルートに道が付け替えられたのです。街道が踏切で線路を渡っていた場所には、昭和2年(1927)に作られた古い地下道があり、現在でも、東口と西口の連絡路として利用されています。
14 西口へ 1.JPG
14 西口へ 2.JPG
↑ 現在はきれいに整備され、壁面には青梅街道の道筋が描かれている。

それでは、地下道を潜って、西口へ・・・。
14 西口へ3.JPG


【参考文献】
木村勝美『新宿歌舞伎町物語』
(潮出版社 1986年)
班目文雄『江戸東京 街の履歴書3 新宿西口・東口・四谷あたり』
(原書房 1991年)
佐伯修「クボとしての新宿歌舞伎町-ある川の肖像-」
(『マージナル』7号 現代書館 1991年)
野村敏雄『しみじみ歴史散歩 新宿うら町 おもてまち』
(朝日新聞社 1993年)
渡辺英綱『新編・新宿ゴールデン街』
(ふゅーじょんぷろだくと 2003年)
溝口 敦『歌舞伎町・ヤバさの真相』
(文春新書 2009年)
三橋順子「東京・新宿の『青線』について―戦後における『盛り場』の再編と関連して」
(井上章一・三橋順子編『性欲の研究 東京のエロ地理編』平凡社 2015年)


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