新宿グランドツアー【9】新宿遊廓から女装スナックがある街へ-新宿3丁目(末広亭ブロック)- [新宿グランドツアー]
【9】 新宿遊廓から女装スナックがある街へ-新宿3丁目(末広亭ブロック)-
新宿3丁目(末広亭ブロック)は、現在は、サラリーマンが気楽に飲める大小の飲食店が軒を並べるエリアになっています。しかし、【6】で述べましたように、昭和戦前期の新宿遊廓の中心域は、現在の町割では新宿3丁目(末広亭ブロック)であり、遊廓のメインストリートの「大門通り」は、3丁目の「要通り」に相当します(大門は、新宿通り側)。
↑ 現在の「要通り」。
↑ 道がわずかに屈曲しているあたりが、新宿遊廓の入口。
実は、ここが新宿遊廓の故地であることは、一般にはほとんど知られていません。なぜなら、新宿区がそのことを現地にまったく表示していないからです。行政によって「性の歴史」の隠蔽が行われている典型的な例だと、私は思います(おそらく地元も共謀)。
ところで、東京の定席としては唯一木造建築の「末広亭」のある通りは、昭和戦前期には「東海通り」と呼ばれ(新宿通りの角に東海銀行の支店があった)、カフェー街を形成していました。旭町の項でも触れた『放浪記』の林芙美子は、追分東海通りの「つるや」というカフェーで女給をしていました。昭和初年頃のことです。
↑ 現在の「末広通り」。
末広亭の通り(東海通り)の東側(新宿通りから入って右側)に連なる店舗(新宿3丁目10番地。中華料理の「満月廬」などがある)の裏は、現在、駐車場になっていますが、注意深く見ると、店舗の裏側のラインが一直線に揃っていることがわかります。実は、この地割線が、新宿遊廓の西側のライン(塀と裏道)に相当します。そして、このラインが、本来の新宿2丁目と3丁目の境界線だったのです。
つまり、ここから東側に、新宿遊廓の妓楼がずらりと軒を連ねていたのです。今から24年前の1992年、私が初めて行った新宿の女装系のお店「梨沙」は、新宿3丁目7番地にありましたが、戦前の地図と合わせてみると、新宿遊廓の西南端に当たり、「第一不二川」という妓楼があった所でした。
ところで、東京新宿の性的マイノリティの世界と言えば、ほとんどの人は、男性同性愛者の世界を想い浮かべるでしょう。しかし、新宿2丁目のいわゆるゲイ・コミュニティとは、まったく別に、女装者のコミュニティが新宿には存在します。
それは、昼間は男性として仕事をしながら、主に週末の夜に女装して街に出るパートタイムの、基本的にはアマチュアの女装者と、そうした女装者を好む非女装の男性(女装者愛好男性)とから成るコミュニティです。
このコミュニティは、21世紀初頭の時点では、歌舞伎町区役所通り周辺から、昭和の残り香が色濃いゴールデン街地区、新宿3丁目の末広亭ブロック、そして2丁目のゲイタウンをかすめて、新宿御苑の北側のブロックに至る広い範囲に散在する10数軒ほどの女装バー/スナックを拠点として形成されていました。
この新宿3丁目の末広亭ブロックは、女装バー/スナックが集まっている街です。要通りの(靖国通り側)入口の「永谷エイトビル」に入っている「粧」、「ゼフィール・ナナ」、T字路を右に曲がった左側の「びびあん」があり(2015年閉店)、その前の小さな路地(老舗の居酒屋「どん底」がある)を入ると左側に「アクトレス」があります。路地が末広亭正面の道に突き当たるあたりに、かって「梨紗」がありました。もうひとつ新宿通り寄りの道に「F(エフ)」があるという具合です。
↑ 「永谷エイトビル」の看板。
「なんだ、たった5軒か」と思われるかもしれないが、新宿全体で10数軒ほどしかない女装系の店の内の3分の1がこのブロックに集まっている。週末の夜に、「アクトレス」がある路地を観察していれば、背の高い「お嬢さん」が何人か通っていくのを見ることができるでしょう。
女装者のコミュニティは、男性同性愛者のコミュニティ(ゲイタウン)に比べると圧倒的に規模が小さく(店舗数で20分の1程度)、また一般の(ヘテロセクシュアルの)歓楽街の中に紛れるように存在しているので、可視化されることはあまりなく、社会の認知度も高くありません。しかし、1960年代半ばに原型が形成されて以来、50年近い長い伝統をもつコミュニティなのです。
この世界では、身体的には男性であっても女装していれば「女」として扱うという認識が共有され、その共通認識に立って、夜の酒場が女装者と女装者愛好男性の、「女」と男の出会いの場として機能しています。そこで展開されるのは、あくまで「女」と男の擬似へテロセクシュアルな意識に基づく関係性で、この点で、男と男のホモセクシュアルな意識に基づく関係が主体である男性同性愛者のコミュニティとは、基本的な理念において差異化されます。
ホモセクシュアルな街である「2丁目ゲイタウン」の中には、以前は女装系のお店はほとんど存在しませんでした。また、ヘテロセクシュアルの歓楽街である歌舞伎町の真ん中にも女装系の店はあまりありません。ホモセクシュアルとヘテロセクシュアルの歓楽街のちょうど中間に、疑似ヘテロセクシュアルな女装系の店が数多く立地しているのは、セクシュアリティの地理的投影(住み分け)という点で、たいへん興味深いものがあります。
新宿3丁目(末広亭ブロック)は、現在は、サラリーマンが気楽に飲める大小の飲食店が軒を並べるエリアになっています。しかし、【6】で述べましたように、昭和戦前期の新宿遊廓の中心域は、現在の町割では新宿3丁目(末広亭ブロック)であり、遊廓のメインストリートの「大門通り」は、3丁目の「要通り」に相当します(大門は、新宿通り側)。
↑ 現在の「要通り」。
↑ 道がわずかに屈曲しているあたりが、新宿遊廓の入口。
実は、ここが新宿遊廓の故地であることは、一般にはほとんど知られていません。なぜなら、新宿区がそのことを現地にまったく表示していないからです。行政によって「性の歴史」の隠蔽が行われている典型的な例だと、私は思います(おそらく地元も共謀)。
ところで、東京の定席としては唯一木造建築の「末広亭」のある通りは、昭和戦前期には「東海通り」と呼ばれ(新宿通りの角に東海銀行の支店があった)、カフェー街を形成していました。旭町の項でも触れた『放浪記』の林芙美子は、追分東海通りの「つるや」というカフェーで女給をしていました。昭和初年頃のことです。
↑ 現在の「末広通り」。
末広亭の通り(東海通り)の東側(新宿通りから入って右側)に連なる店舗(新宿3丁目10番地。中華料理の「満月廬」などがある)の裏は、現在、駐車場になっていますが、注意深く見ると、店舗の裏側のラインが一直線に揃っていることがわかります。実は、この地割線が、新宿遊廓の西側のライン(塀と裏道)に相当します。そして、このラインが、本来の新宿2丁目と3丁目の境界線だったのです。
つまり、ここから東側に、新宿遊廓の妓楼がずらりと軒を連ねていたのです。今から24年前の1992年、私が初めて行った新宿の女装系のお店「梨沙」は、新宿3丁目7番地にありましたが、戦前の地図と合わせてみると、新宿遊廓の西南端に当たり、「第一不二川」という妓楼があった所でした。
ところで、東京新宿の性的マイノリティの世界と言えば、ほとんどの人は、男性同性愛者の世界を想い浮かべるでしょう。しかし、新宿2丁目のいわゆるゲイ・コミュニティとは、まったく別に、女装者のコミュニティが新宿には存在します。
それは、昼間は男性として仕事をしながら、主に週末の夜に女装して街に出るパートタイムの、基本的にはアマチュアの女装者と、そうした女装者を好む非女装の男性(女装者愛好男性)とから成るコミュニティです。
このコミュニティは、21世紀初頭の時点では、歌舞伎町区役所通り周辺から、昭和の残り香が色濃いゴールデン街地区、新宿3丁目の末広亭ブロック、そして2丁目のゲイタウンをかすめて、新宿御苑の北側のブロックに至る広い範囲に散在する10数軒ほどの女装バー/スナックを拠点として形成されていました。
この新宿3丁目の末広亭ブロックは、女装バー/スナックが集まっている街です。要通りの(靖国通り側)入口の「永谷エイトビル」に入っている「粧」、「ゼフィール・ナナ」、T字路を右に曲がった左側の「びびあん」があり(2015年閉店)、その前の小さな路地(老舗の居酒屋「どん底」がある)を入ると左側に「アクトレス」があります。路地が末広亭正面の道に突き当たるあたりに、かって「梨紗」がありました。もうひとつ新宿通り寄りの道に「F(エフ)」があるという具合です。
↑ 「永谷エイトビル」の看板。
「なんだ、たった5軒か」と思われるかもしれないが、新宿全体で10数軒ほどしかない女装系の店の内の3分の1がこのブロックに集まっている。週末の夜に、「アクトレス」がある路地を観察していれば、背の高い「お嬢さん」が何人か通っていくのを見ることができるでしょう。
女装者のコミュニティは、男性同性愛者のコミュニティ(ゲイタウン)に比べると圧倒的に規模が小さく(店舗数で20分の1程度)、また一般の(ヘテロセクシュアルの)歓楽街の中に紛れるように存在しているので、可視化されることはあまりなく、社会の認知度も高くありません。しかし、1960年代半ばに原型が形成されて以来、50年近い長い伝統をもつコミュニティなのです。
この世界では、身体的には男性であっても女装していれば「女」として扱うという認識が共有され、その共通認識に立って、夜の酒場が女装者と女装者愛好男性の、「女」と男の出会いの場として機能しています。そこで展開されるのは、あくまで「女」と男の擬似へテロセクシュアルな意識に基づく関係性で、この点で、男と男のホモセクシュアルな意識に基づく関係が主体である男性同性愛者のコミュニティとは、基本的な理念において差異化されます。
ホモセクシュアルな街である「2丁目ゲイタウン」の中には、以前は女装系のお店はほとんど存在しませんでした。また、ヘテロセクシュアルの歓楽街である歌舞伎町の真ん中にも女装系の店はあまりありません。ホモセクシュアルとヘテロセクシュアルの歓楽街のちょうど中間に、疑似ヘテロセクシュアルな女装系の店が数多く立地しているのは、セクシュアリティの地理的投影(住み分け)という点で、たいへん興味深いものがあります。
2016-03-23 03:41
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