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2012年03月14日 石山寺縁起絵巻を読む(観音の利生宝珠の霊験譚) [石山寺縁起絵巻]

2012年03月14日 石山寺縁起絵巻を読む(観音の利生宝珠の霊験譚)

3月14日(水)  晴れ 東京 10.4度  湿度36%(15時)

8時、起床。
朝食は、アップルデニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。

化粧と身支度。
黒地に紫・群青・水色・茶色の大小の長楕円がたくさんある変な柄のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒の厚手のストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ。
ボア襟の黒のカシミアのポンチョ。

毎年、この時期は、花粉症が出て肌が荒れるのだが、今年は不思議とほとんど症状がなく、化粧の乗りも良い。

9時45分、家を出る。
途中、コンビニで講義資料のコピー。

10時半、自由が丘で講義。
『石山寺縁起絵巻』(近江・石山寺の由来と歴史を描いた鎌倉時代末期の絵巻物)の解読。
巻4の室町時代の補作部分は飛ばして(第1段の紫式部が石山寺で『源氏物語』執筆の着想を得た場面だけは前回解説済)、巻5に入る。

巻5は、巻1、2、3と同様の鎌倉時代末期の制作と思われる。
以前は、少し時代が下る南北朝期の制作とする説もあったが、画風・書風とも巻1~3と比べて違和感はなく、同時期と考えてよい。

巻5第一段の長い詞書を読む。
天治年間(1124~25 崇徳天皇代、鳥羽院政期)に式部少輔藤原国親(北家真夏流)という文人貴族がいた。
夫婦は子もなく暮らしていたが、ついに離縁になる。

悲しんだ妻は、石山寺に参籠し七日七夜、三千三百三十三度、必死の思いで祈る。
すると、疲労困憊して臥した夢の中に如意輪観世音菩薩が示現して、不思議な色の珠を渡される。
夢から覚めてみると手の中に宝珠があった。
女は授かった宝珠を大切にして家に帰ると、すぐに夫とも復縁し、一家は富裕になり、子孫も繁栄する。

その宝珠は鳥羽上皇の手に渡り、院に「叡慮」「ことごとく成就」する聖運をもたらす。

さらに、代々低迷している藤原邦綱(北家良門流、堤中納言兼輔の末)という男の手に移って、彼を異例の大出世(正二位権大納言)に導く。

すべて石山寺の観世音菩薩の「利生宝珠」の威徳であるという。

典型的な観世音菩薩の現世利益的な霊験譚だが、元になるが説話がわからない。
これだけ露骨に霊験を賛美しているところからすると、あるいは、石山寺のオリジナルだろうか?

今日は、絵に入れなかったが、この段は石山寺縁起絵巻の中でも有数の豊富な内容を持つので、絵解きが楽しみ。

12時、終了。



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