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2005年12月02日 お茶の水女子大学講義(8回目) [大学講義(お茶の水女子大学)]

2005年12月02日 お茶の水女子大学講義(8回目)

12月2日(金) 曇り

10時半、起床。

朝ご飯は、いつものようにトースト1枚、生ハム4枚、きゅうり&レタス。

13時、仕事場へ。
メールチェックだけして、身支度。

髪をポニーテールにまとめて(しっぽの部分は付け毛)、根元に、先日、京都の「かづら清老舗」で買った和風の髪止め(バレッタ)を付ける。
自分の髪に髪止めを付けるの、けっこう感激。
うれしくて、わざわざ合わせ鏡をして眺めてしまう。

着物は、焦げ茶に黒の子持ち縞のお召。
地味な色合いの着物なので、赤地に手鞠柄のちりめんの帯を合わせて華やぎをもたせる。
長襦袢は、緑の地に簪模様。
半襟、帯揚は緑系。
帯締は、京都で買ってきた紫色。
黒のファーのマントをまとう。

15時、家を出て、霞ヶ関駅経由でお茶大へ。
正門を入った所のイチョウ並木が、やっと黄色く色づいた。
それでもまだ緑の葉の樹が少しある。
東京都心部の紅葉は、もう11月中ではなく12月に入ってということなのだろう。
こうした温暖化の進行、もっと危機感をもった方がいいと思うのだが。

レジュメを印刷。
今日は、A4版4枚、各90枚。

授業の前に、ジェンダー研究センターに寄って出勤簿に押印。
チョコレート・ケーキをご馳走になる。

16時40分、講義開始。
歴史篇「トランスジェンダーの社会史(2)-近代の抑圧-」の第1部「明治の文明開化と異性装の抑圧」の続き。
歌舞伎の「改良運動」について説明。
江戸歌舞伎の女形は、「平生を、をなごにてくら(す)」(『あやめ草』)という芳沢あやめの教えを守り、舞台の上だけでなく日常においても女装して「女」として生活していた。
ところが、明治11年(1871)、新政府の旧風俗矯正の意識に同調した九世市川団十郎(1838~1903)に主導された歌舞伎世界の革新運動(演劇改良運動)が始まると、江戸歌舞伎が持っていた性的ないかがわしい部分が切り捨てられていく。
具体的には、若手女形と「色子」(女装のセックスワーカー)との人的交流を断ち、歌舞伎世界と陰間茶屋的な男色世界との分離がはかられていく。
江戸時代的な男色文化と深くつながり、性別越境の要素が濃厚な芸能である歌舞伎世界は、男色、女装という要素をできるだけ薄め、限定的にすることで、新しい時代の演劇として生き延びようとした。
その結果、女形が「女」を演じるのは舞台の上だけのこととされ、日常的には立派な「男子」であることが求められるようになる。
旧来どおり、日常生活を「女子」として暮らしていた女形も、八世岩井半四郎(1829~82)あたりを最後に姿を消していった。
こうして、女性的に生まれついた男子が、色子を経て歌舞伎の女形になって身を立てていく道は断たれてしまったことを述べる。

次ぎに、第2部「明治末~大正期の異性装の『変態性慾』化」
明治末~大正期になると、同性愛や異性装を禁忌(タブー)とするキリスト教文化に基盤をおく西欧(主にドイツ)の精神医学が導入され、伝統的な男色文化は「変態性慾」として位置付けられ、異性装者は精神病者化されていったことを解説。

1886年にドイツの司法精神科医クラフト・エービング(Krafft Ebing 1840-1902)が 後の「変態性慾」概念の体系化をおこなった『性的精神病質』を刊行し、その第4版の翻訳が1894年(明治27)に『色情狂編』として、第14版の邦訳が1913年(大正2)に『変態性慾心理』として刊行され、日本の精神医学に大きな影響を与えたこと。
その後、「性科学」の形態をとったこれらの書籍・言説によって「変態性慾」概念が一般に広く流布され、同性愛者・異性装者に対する差別意識に「科学的」根拠が与えられ、社会的抑圧が強化されていったことを述べる。

 具体例として、羽太鋭治・澤田順次郎『変態性慾論』(大正4年=1915)の分類を紹介。
「顛倒的同性間性慾」(同性愛)がきわめて重大視されていること、「色情亢進症」については男女の性慾の在り方に大きなバイアスがあること(男性はかなり強い性慾があっても正常視、女性は性慾があるだけで異常視)などを指摘する。

続いて、第3部「抑圧の中を生きる異性装者-昭和戦前期-」。
抑圧を生き抜いた形態として、女装芸者、女装の男娼、新派・大衆演劇の女形の3つがあったことを解説。
具体例として、『読売新聞』1929年(昭和4)の元旦紙面を飾った塩原温泉の女装芸者の「花魁清ちゃん」、1937年(昭和12)3月に銀座で逮捕された美貌の女装男娼福島ゆみ子こと山本太四郎、新派の曾我廼家五郎劇団の立女形として大正の末から 昭和戦前期に活躍した曾我廼家桃蝶(1900~?)を紹介。

ついでに、1931年(昭和6)に、浅草の女装男娼「愛子」を主人公にした実録風小説『エロ・グロ男娼日記』(流山龍之介著 三興社)が刊行されたが、即日発禁処分になったエピソードも付け加えた。

ここまでが前回分。
やっと今日のテーマ「トランスジェンダーの社会史(3)-戦後日本の性別越境者(MTF)たち -」に入る。
個別の話に入る前に、戦後日本トランスジェンダー社会史のポイントを総論的に話す。

戦後日本トランスジェンダーの社会史は次のポイントで理解できる。
(1) 潜在化していたトランスジェンダーが、社会的抑圧の軽減にともない、様々な形態を取りながら社会的に顕在化していく歴史であること。
全体傾向として、MTF(男性から女性へ)が主に顕在化、FTM(女性から男性へ)の顕在化は遅れる。
情報媒体としての雑誌(週刊誌)、テレビ、さらに最近ではニューメディアとしてのパソコン通信、インターネットが顕在化に果たしたの役割(ジェンダーバイアスも含めて)を認識すべき。

(2) 男性同性愛世界と女装(トランスジェンダー)世界とが分離していく歴史であること。
ゲイボーイ → ニューハーフ → ミスター・レディという呼称の変化に象徴されるように、商業的トランスジェンダー世界のイメージ的女性化が進行する。
歴史的に本来二つの路線(江戸時代的に言えば、異性装を伴わない男色文化と異性装を伴う男色文化)のが近代の抑圧の中で身を寄せ合っていた形が、戦後、抑圧が少なくなるにつれて、本来の姿に戻っていく過程ととらえることもできる。

(3) 様々な価値基準(対立軸)に基づくトランスジェンダー・カテゴリーの分裂、細分化の歴史であること。
商業的の中で、セックスワークか、飲食接客業か(男娼か、ゲイボーイか 1950年代)
商業的か、非商業的か(プロか、アマチュアか 1960~70年代)
非商業的の中で、閉鎖的か、開放的か(女装クラブか、新宿コミュニティか 1980~90年代)
フルタイムか、パートタイムか、身体加工か、非加工か(TSか、TGか 1990年代)
病気(精神疾患)か、そうでないか(性同一性障害か、トランスジェンダリズムか 2000年代)

(4) 新たに紹介・導入された価値基準は、それ以前に分化したカテゴリーには適用されなという「法則」があること。
例えば、1990年前後に女装クラブ系の世界に紹介されたTV・(TG)・TSという区分法は、それ以前に既に分化していた商業的トランスジェンダー世界(ニューハーフ世界)や新宿の女装コミュニティには適用されなかった。
また、1995年以降にTS・TG世界に導入された性同一性障害(GID)という価値基準(診断基準)は、それ以前に分化していた商業的トランスジェンダー世界(ニューハーフ世界)や新宿のトランスジェンダー・コミュニティ、女装クラブの世界には適用されなかった(最近は影響が及びつつあるが)。

(5) 結果として、きわめて多様、多彩な、世界的に見てももっとも高度に発達したトランスジェンダー世界が展開されているのが現代日本社会のひとつの特質であること。
欧米のトランスジェンダーから見ると、日本の社会環境は「パラダイス」。
世界的に見てトランスジェンダーに最も寛容な世界であるタイにおいても、日本ほどの分化はみられない。

今日の授業後の質問「タイ社会では、どのような形で、どうのような理由でトランスジェンダーに対して寛容なのでしょうか」。

教室ではうまく答えられなかったが、取り敢えずこんな感じにまとめられるかと思う。
「タイについては、いくつか研究報告を聞いたのと、1回の旅行だけの印象なので、きちんとした調査に基づく見解ではなのですが、普通の飲食店や化粧品店などで働いているのを見かけるし、政府の観光局がトランスジェンダー(MTF)をポスターに使うなど、社会的受け入れは最も進んでいると思います。理由については、仏教の輪廻転生思想の影響などの説があるが調査不十分ではっきりしたことは言えません。私としては母系的な社会構造が近代化の中でも強く残存していることがベースになっていると思ってます」。

帰路は、池袋経由。
19時15分、学芸大学駅に着く。

いつものパターンで、東口商店街の居酒屋「一善」へ。
生ビール1杯、ウーロン茶1杯。
肴は、金目鯛の刺身、魚のアラ煮。
大皿に盛られたアラ煮をていねいに食べている内に、お腹が一杯になってしまう。

22時20分、仕事場に戻る。
お風呂を入れている間、久しぶりにあちこちのサイトを巡回。

某BBSで、どこかの解らず屋が私への批判をまた延々と繰り返していた。
批判の元になっているのは、昨年4月の「セクシュアル・サイエンス」の座談会での私の発言。
論文や論説ならまだしも、1年半以上も前の座談会の一言半句だけをとらえて、繰り返し繰り返し、同内容の批判を続けるというのは、いったいどういう神経なのだろうか。
粘着質にも程がある。
反論しようかとも思ったが、時間、労力、精神力、ネット資源の浪費になるだけで、馬鹿らしいのでやめた。
こっちはそんなに暇ではない。

就寝、2時(仕事場)。


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